2024年4月25日(木)

WEDGE REPORT

2015年7月15日

 人質の解放交渉に気合いが入らなかった理由の1つは、後藤さんら2人が危険を承知でシリアに入ったという「自己責任論」が強かったからだ。もう1つは「人質に取られた人たちの“質や価値”」(テロ専門家)による面も大きい。「仮に人質に取られたのが大使ら外交官であれば、政府の対応は全く違ったものになっただろう」(政府関係者)という声もある。

 いずれにせよ、日本政府が犯人側と交渉しないとの方針を堅持した背景には、人質問題で米国の強硬な方針があったからである。実際に日本人人質事件の際には、米国から日本側にISに譲歩しないよう“圧力”もあった。日本政府は米国の同盟国として忠実に米国の方針に同調したのである。

見捨てられた僕たち

 ところが、テロリストとの直接交渉も容認、という米国の突然の政策の変更はそうした同盟国のはしごを外したようなものだ。オバマ政権が今回の政策転換で事前に日本政府に根回しした形跡はない。日本は今後、人質事件に直面した場合、テロリストと交渉するのかどうかあらためて問われることになる。

 米国の政策の大転換は今に始まったことではない。悪夢として語り継がれるのは1971年のニクソン・ショックだ。時のニクソン大統領は断絶状態にあった中国への訪問を突然発表、世界中に衝撃を与えた。特に日本は全く蚊帳の外に置かれ、駐米大使にホワイトハウスから連絡があったのが発表の3分前だったというのは語り草になっている。

 米国は利用価値がなくなった指導者を簡単に切り捨てることもある。レーガン大統領の盟友と自称していたフィリピンのマルコス大統領は民衆革命の際、米国に見捨てられハワイに追われた。後にハワイに立ち寄ったレーガン大統領と会うことを懇願したが、大統領はかつての盟友に決して会おうとしなかった。

 アラブの春でエジプトの長期独裁のムバラク政権が打倒された時にも友人としてきたムバラク大統領をあっさり見限り、イスラム主義勢力側についた。目先の利害にとらわれる米国の非情な対応に、シシ現政権ばかりかアラブの指導者らの不信感は根強い。「米国とは一定の距離間をもっての付き合わなければならない」。このことを今回の人質政策の変更は日本にも教えてくれているようだ。

  
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