この熱き人々

2015年8月28日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

ずっと絵が描きたかった

 祭りのお囃子が聞こえてくると駆け出さずにはいられない子どものように、前後左右も後先も考えずに突っ込んでいく。何かを成し遂げようというより、心が動いてくるとブレーキがきかない。玄人は、その先に想像できる困難を避けようとして無難な方向に流れがちだが、困難には熱気で当たってダメなら砕けろという究極のアマチュア魂。勢いは日本を突き抜けて海外にまで達し、あのウッドストックを富士山の裾野でやろうという世界的な仕掛けの日本側のプロデューサーに指名された。ローリング・ストーンズやレッド・ツェッぺリン、ドアーズ、ジャニス・ジョプリンなど26の世界的なバンドが集結し、観客は50万人から60万人という夢のようなロックフェス「富士オデッセイ」は、結局さまざまな事情で実現できなかったが、今でも幻のイベントとして語り継がれている。

 「その後、世界を旅したんや。それで、カッコよければカッコいい、面白いもんは面白いと言えるニューヨークに棲みつこう思ったんやけどな。ニシンそばが食べられへん、ハンバーガーばっかりの一生はイヤやと胃袋が抵抗したんや」

 食い物に負けて京都に戻ってきた木村は、京大西部講堂の「MOJO WEST」をはじめとする画期的なイベントを仕掛け、ロックプロデューサーとして30年間を真一文字に生きている。

 このままなら絵師のキーヤンは誕生しなかったのだが、六十歳を目前にしてなぜか絵を描きたいという気持ちが湧き上がってきたという。が、よくある還暦過ぎの転身のような印象は、ロックと噛み合わない。30年間のロックプロデューサー時代のことを改めて聞いてみたくなる。

 「ロックは、ストレート、シンプル、イージー、フリー。既存のカルチャーとは違う魅力があって面白かった。みんな勝手な方向を向いてるのが集まって、時代のど真ん中で当たり前になってることをエレキの音で壊していくってカッコよかったんや」

 では、その間、絵を描きたいと思ったことはなかったのだろうか。

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