2024年4月17日(水)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2015年8月27日

 「はやく戦力外になって、綺麗さっぱり野球を辞めてしまいたい」

 2001年に大阪近鉄バファローズから読売ジャイアンツへトレードで移籍してきた真木将樹は、結果の出ない自分への焦りや苛立ちを隠せずにいた。投げても投げても戻らない感覚。ボールを持つことさえ心が抵抗する。横を見れば、引退間際の斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己がジャイアンツ球場で必死に汗を流している。ベテランの真剣な表情を見るたび、心は荒んでいった。「頑張っている人と話ができない。俺はもう夢を諦めた人間だから」。

真木将樹(Masaki Maki)
大阪近鉄バファローズ→読売ジャイアンツ1976年2月生まれ。福岡県出身。東筑紫学園で甲子園出場。法政大学では1年春から登板。同学年の慶應義塾大学の高橋由伸、明治大学の川上憲伸らとしのぎを削った。98年、ドラフト1位で近鉄バファローズに入団。2001年のシーズン中に読売ジャイアンツにトレード。02年に戦力外通告を受ける。03年はカナダの独立リーグで野球を続けるも、04年に引退。06年にアルク有限会社を起業。(写真:小平尚典)

 心に押し寄せる虚無感に苛(さいな)まれ、ただただ「その日」が近づいてくるのを待つ日々。そんな中、ふと心の声に気づいた。「辞めた後の生活は、どうなるんだろう」。小学校で野球を始めて以来、ずっと野球一筋で生きてきた真木にとって、野球はもはや生活そのものとなっていた。「辞める」ということを明確に意識した途端、野球のない日々への寂しさが心を揺り動かした。

 「野球を嫌いで辞めてはいけない。野球と素直に向き合ってから辞めたい」

 どこのチームでもいい。自分にとっての野球というものの意味づけが終わらないうちは、辞められない。「辞める」ことを決めたとき、「辞められない」自分に気がついたのだ。

 再燃した野球へのおもい。トライアウトに向け、猛練習をすることを決めた。時を同じくして、電話が鳴る。

 「明日、寮に来てもらえないか?」

 なんの話かは分かっていた。翌日、応接室には、トレードの時に顔を合わせた球団職員がいた。何を言われたかはよく覚えていない。真木の心は既にトライアウトに向いていた。


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