【特別対談】日本のソフトパワーを考える(全4回)

2009年10月7日

バラカン なるほど。

青木 今で言う歴史問題は当時もあったんだろうけど、日本人が中国や朝鮮半島でどういうことをしているかなんて全然情報が入ってこなかったですから、そういう情報が入ってくるのは、戦争が終わってかなり経ってから。敗戦日本の混乱から立ち直るのが精一杯でした。中国とも国交回復もしていませんでしたしね。だから、情報は文化に関してもアメリカ、あるいはヨーロッパのものばかり。僕個人は、文化人類学を研究しようと思って、1960年代当時は東南アジアに行く人はほとんどいなかったものですが、タイなどに行くようになったんです。

 日本人の一般的な体験としては、戦後はアメリカ文化からの圧倒的な影響があった。それは、一種の“モデル”みたいに感じられていました。ほんの半年ぐらい前まで「鬼畜米英」なんて言っていたのに、敗戦で一度に変わっちゃったわけです。実際に私が見た兵隊たちは、非常にまじめな態度で感じが良かったですね。アメリカは軍事力が強かったし、今でも世界で一番強いですけど、軍事力というハードパワーの使い方というのはあって、一つは、もちろん武器で戦争したりするような、本当の物理的な力ですけど、もう一つは、軍事力であっても、やり方によってはソフトパワーに変わることがあると思うんです。自衛隊も、例えば今や災害救済の力として評価されていますね。

―― 「態度が良かった」というのは、アメリカ文化が日本人に受け入れられた前提のひとつということでしょうか?

ジャズトロンボーン奏者として名高いグレン・ミラーは、自らの楽団を率いて軍隊への慰問演奏をして回り、その移動中に飛行機事故で亡くなった。写真は、映画『グレン・ミラー物語』でグレン役をつとめるジェームズ・スチュワート。

青木 その文化がいかに素晴らしくても、やはり持ってくる人の態度が悪ければ反発しますからね。ですから、後になって日本でも『日本の黒い霧』(松本清張著、文春文庫)に描かれているように、アメリカ占領については闇があることも分かってきたけれど、少なくともわれわれが接触した最初の兵隊さんは、非常に態度が良かった。また当時アメリカ文化は輝いていました。ハリウッドにジャズに豊かな生活と明るさ。

バラカン 当時の日本は、もう戦争が終わっていたということもあるかもしれませんね。

青木 そういえば、いつだったかオーストリアのウィーンに行ったんです。コンツェルトハウス(1)に行って、アルバン・ベルク(2)のコンツェルトを聴こうと思ったら、すでにソールドアウト。そうしたら受付のおじさんが「今晩いいのあるぞ」と言う。何かと思ったら、ジャズコンサートで、これがウィーンのグレン・ミラー楽団なんですよ。

バラカン へえ。

青木 行ってみると、オーストリア人によるグレン・ミラーが件の演奏会でした。G.I.(3)の帽子をかぶってミラー・サウンドを出している。第2次世界大戦後、ウィーンも米英仏ソによって4分割されたでしょう。その中でウィーンの人たちにも、アメリカに対する好感、信頼といった感情があったんじゃないかと思う。

(1)コンツェルトハウス:帝政時代の1913年に完成したコンサートホール。音楽の都・ウィーンを代表する建物のひとつである。現在はウィーン交響楽団の本拠地でもあり、多くのコンサートや音楽祭が年間を通して開催されている。
(2)アルバン・ベルク四重奏団:1970年、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターも務めたギュンター・ピヒラーらによって結成された楽団。世界を代表する四重奏団であったが、2008年に解散。
(3)G.I.(ジー・アイ):もともと「官給品(government issue)」をあらわす言葉。転じてアメリカ兵の俗称。

 

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