コラムの時代の愛−辺境の声−

2015年9月10日

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藤原章生 (ふじわら・あきお)

毎日新聞記者

1961年、福島県生まれ。北海道大学工学部卒業後、住友金属鉱山に入社。89年に毎日新聞社に入り、ジャーナリズムの道へ。92年に外信部に所属し、 93年にメキシコ留学。帰国後の95年から南アフリカ・ヨハネスブルグでアフリカ特派員、2002年からは、メキシコ市支局長、ラテンアメリカ特派員。08年〜12年までローマ支局長。5 年半に渡るアフリカ特派員時代の取材を元にした著書『絵はがきにされた少年』(集英社文庫)で05年の開高健ノンフィクション賞受賞。著書に、『世界はフラットにもの悲しくて』(テン・ブックス)、『資本主義の「終わりの始まり」―ギリシャ、イタリアで起きていること』 (新潮選書)、『ギリシャ危機の真実 ルポ「破綻」国家を行く』(毎日新聞社)『翻弄者』(集英社)、『ガルシア=マルケスに葬られた女』(集英社)。

 驚いたのは、移民問題を担当する役人らの誰ひとりとして、リスボン条約による対策強化を知らないことだった。

 「私たちは何も聞かされてません。リスボン条約なんてのは、中東やアフリカ人のことはもちろん、国境の現実を知らないドイツやベルギー、北の国の連中が頭で考え、データをいじっただけの話。法律ばかりいくら作っても、現場を知らなきゃどうにもならない。どう止めたって、毎晩毎晩、どんどん来るんだから。見てよ、この海。ここに柵でも作れっていうの? 柵を作ったって、飛び越えてきますよ」

 当時、55歳だった女性の市長顧問、リッツァ・リコウさんは鮮やかなワンピース姿で、半ば投げやり、半ば笑い気味にそんな話をした。

多くの人々は政治難民ではなかった

 中には本当の政治難民もいる。だが、難民収容所にいた100人ほどに会ってみると、彼らの多くが難民でないとわかった。

 アフガニスタン、クルド、パレスチナ、アフリカ諸国と出身地で住み分けしており、私はもっぱらアフリカから来た男性に出身地を聞いてみた。すると皆が皆、「ソマリアです」と答えた。だが、私が見たところ、どう見ても西アフリカ、ナイジェリアか、ガーナ辺りの顔なのだ。アジア人でも日本人とパキスタン人が違うように、アフリカ人も東のソマリアと西では全く違う。

 収容所で政治的な質問をしてはいけないため、「アフリカの食べ物が恋しい?」と聞くと、「そりゃ、そうですよ」と皆笑いながら頷いた。「エグシ・スープとか、うまいからね」と私が言うと、男たちから一斉に笑い声が上がった。西アフリカの名物料理の名前を持ち出したのだ。

 「ここに来るアフリカ人はみな『ソマリア人』を語り、似たような生い立ちを話す。ソマリアの首都モガディシオで生まれ育ったが、内戦に巻き込まれ、命からがら逃げてきたという話。政治難民になるためだ。大半は嘘だと思うが、身元を証明できるものが何もないので確認しようがない。政府が機能していないソマリアにも連絡できないし。淡々と供述調書を作り、顔写真を撮り、医療診断をして、出て行ってもらう。それがここの仕事だ」

 債務危機下のギリシャでは大卒でも定職につけるのはわずかで、移民を丁重に扱う余裕はない。「食べて泊まり、ただで医者にかかる彼らには、早いところギリシャから出て行ってもらいたい」(市職員)というのがギリシャの本音で、玄関であっさり「難民」と認められた人たちは当然ながら、実入りのいい北を目指す。

一度開いた扉を閉めるのは大変なこと

 EU当局はいま、入国管理をさらに強化すると言っているが、出先が出先だけに果たして、北の欧州基準にかなうように役人が動くかどうか。

 開かれた欧州、外国人との共存は望むところだ。だが現実に、エーゲ海に密航船があふれ、移民の大量流入が起きた場合、欧州人に受け入れる度量があるのか。

 一度開いた扉を閉めるのは大変なこと。ユーロ導入のときのように、理想を語るスローガンばかりが先行し、債務危機であたふたする。そんなことが起きないのを望むばかりだ。

  
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