県庁職員は親切に対応してくれたが、まず「幼稚園の需要がない」と指摘された。「その地域には幼稚園新設の要望もなく、この少子化時代に幼稚園をつくることは考えられない」というのが県庁の見解だった。そして「神奈川県内には、人口が増加している地域を除いて、原則として新設幼稚園は認可しない」と言われてしまった。
普通なら、この一言でくじけてしまいそうなものだが、理想の教育実現に向けて研ぎ澄まされたセンサーは、この「原則」という言葉に鋭く反応した。
「それは原則でしょ? 特例をつくればいいんですよ!」
原則があるということは特例があるということ。特例として幼稚園をつくるのであれば何ら問題はないはず。こんな言葉が、天野氏の口から矢継ぎ早に飛び出した。
「まあ、そりゃあそうですけどね…」
県庁職員は苦笑いをしながらも、話を聞いてくれた。ここでも熱い語りが始まった。そして、ひとしきり話を聞いた後、
「あなたのような人が幼児教育を行うことが大事なんですよね」
と、ついには理解を示し、学校法人の認可取得の方法を丁寧に指導してくれた。再び奇跡は起こったのである。
しかし、困難はこれでは止まらない。土地は得たものの、建物の建設には2億円以上の資金が必要だ。寄付によって得られた資金は1000万円。私学財団から1億3000万円を借り入れたものの、まだまだ足りない。そこで家族を説得し、自分たちの住む家はもちろん、夫の実家までも担保に供し、資金を借り入れた。彼女自身、「10年間無給」との覚悟を決めて。
このほかにも、幼稚園設立にまつわる困難を書くならば、1冊の本でも足りない。しかし、それらをすべて解決し、乗り切った。
こうして、1998年4月、「風の谷幼稚園」は船出を迎えることになるのである。
「やればできる、と思えばできる」
「やればできる、と思えばできる」
これは卒園した児童が、5歳のときに、正月のカルタに記した自分の言葉である。
この天野園長、そして彼女の教育理念に共鳴する先生たちと3年間の時を過ごすと、いつの間にかこのような思考回路が出来上がるのだろう。
では、この天野園長の理想郷ともいえる「風の谷幼稚園」では、どのような子どもを育てるために何を教え、日々どのように園児や親と向かい合っているのか。これを、次回から詳細に伝えてゆくことにする。
風の谷幼稚園・園長 天野優子氏
1946年生まれ。高校卒業後、大手水産会社に入社して10年間勤務。その間に結婚して2児を設ける。自身の子育て経験から安心して子どもを預けられる保育所の必要性を痛感し、保母への転身を決意。74年、会社を退社して保育専門学校に入学する。卒業後は公立保育所、私立保育所などを経て、都内の私立幼稚園に。ここで14年間勤務し、教務主任も務める。95年3月に退園。その後、理想の幼児教育を実現するために奔走し、98年4月、神奈川県川崎市麻生区に「風の谷幼稚園」を開園する。
※次回の更新は、10月9日(金)を予定しております。
■「WEDGE Infinity」のメルマガを受け取る(=isMedia会員登録)
週に一度、「最新記事」や「編集部のおすすめ記事」等、旬な情報をお届けいたします。