2024年4月20日(土)

対談

2015年9月26日

久松 社会全体で見たときに、彼らが投資効率の悪い人材になっていることは明らかだと思うんです。でも本当に個人にとっても、あるいはその家族にとっても合理的な選択なんだろうか? と疑問を感じますね。

木下 過去は合理的だったこともある、というだけですよね。これから先の20年、30年にわたってそうだとは、到底思えないですね。

 むしろこういう仕事をしているので、この15年の間に地方行政の経営が大変になっていることは肌身に感じますし、現場も疲弊しています。若手の危機感ものすごくなっていますが、それはあまり社会的には共有されていませんね。役所の財務諸表を見て「これは安泰だ」と思える人なんていないでしょう。自治体がすぐにでも潰れる、などと危機感を煽るつもりはありませんが、長期的に見て安泰なんてまったく思えない。若い世代はなんとなくそれを分かっているけど、実際には周囲の、過去の経験に基づく価値観に流されてしまうことが多いんですよね。年長者を尊敬することと、年長者を信用することは別だと僕は思っているのですが。

家族経営の限界

久松 先行世代の言うことを、けっこう簡単に内面化しちゃうんだなって思いますよね。農家でも「この畑は先祖代々……」とか言いたがる奴が多いんだけど、農地改革の前から土地を持っていた農家なんてそんなにいないし、そういう奴に限って平気で土地を売っちゃうんだよね。古くから農家だった家は、やっぱり簡単に土地を手放さないんですよ。

木下 板橋にあるうちの親父の実家も、元々は農家だったんです。ま、農家っていっても農地改革で土地の割り当てをもらって、という小さな農家です。だから戦後になって、子どもも多いし全員を農業では食べさせられないと祖父が判断して、親父やその兄弟は中学を卒業してそのまま八百屋とか肉屋に丁稚奉公に行かされたんです。奉公先で修行させていたら、祖父が今度は「埼玉の戸田で商売やる」と言い出して、息子たちを呼び戻して商売をやらせた。田畑は兄弟の自宅にしたり、資産分割してマンションを建てて売っぱらったりしてしていました。そういうノリの家族主義、というか祖父の個人経営に息子たちが従うというゴットファーザーモデルだったんです。経営といっても、ほんと、今日明日食うための商売という感じですね。

久松 そういうのって「ファミリービジネス」じゃなくて「ビジネスファミリー」なんだろうなってよく思うんですよ。ビジネスの存続よりもファミリーの存続が大事。


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