対談

2015年9月27日

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「負担なき受益」が自らの首を締めていく

木下 ここ半世紀の地方政策は、負担と受益のバランスが完全に崩れています。みんなで何をして、どう稼ぐのかと知恵を出しあうのではなく、「他人が稼いだ金で何をするか」「自分たちにとって得になることは何か」とばかり考えてきてしまいました。

久松 これは切実な問題で、東日本大震災の直後に「絆」といわれたようなコミュニティのあり方、自己の利益を優先しないことの強さは本当にすごいものがあったと思うんだけど、その反面「運営」という視点がないんですよね。
たとえば地域から小学校が無くなるというときに、みんなその学校がコミュニティのなかで果たしてきた役割については語るんだけど、学年で7~8人しかいない学校にどれだけ運営コストがかかっているかと問われると「そういう問題じゃないんだ!」でおしまいになってしまう。

木下 そうなんですよね。先立つものがなければ動かないし、無い袖は振れない。どんなに必要なものでもあっても価値交換の原資がなければ、つまりお金がなければ買えないのは、家計でも公共でも同じなんですよね。だから手元にある資源を元に、必要なものを調達するという当たり前の考え方が、お金と向き合うということなんです。経済成長と税収増加が当たり前の豊かな時代が長く続いて、お金と向き合わなくてもどうにかなってきたから、社会の原資とほしいものを切り離して語ることに慣れすぎてしまっているんだと思います。
もともと学校は国が作ったものじゃなくて、地元で作ったものが統合されたものです。自分たちのニーズに合ったものを作って、国の認可を取ることだって考えられると思うんですよね。フリースクールの卒業資格認定について議論されていますが、多様な義務教育モデルが出てくることはいいことだと思います。コミュニティは大事だけど、それは行政の予算だけで守られるべきものじゃない。

久松 子供の数もどんどん減ってくるんだから、フルスペックで新しい学校を作らずに、既存の遊休施設を手直ししてやればいいのに。でも「公平性」の名の下に、まっさらなのを建てちゃうんだよねえ。

木下 校庭や公園の整備に地域住民が参加するのは海外ではよくあることですし、明治期の日本でも普通のことでした。でも戦後からは、何でもかんでも公共サービスでやってくれ、になっちゃった。

久松 「道普請」という言葉があるように、道路だって自分たちで直してきたんですよね。「そのほうが早い」って(笑)。土建で再分配をしてきた成果なのかも知れないけど。

木下 1970年代以降、とくに田中角栄の『日本列島改造論』を経て日本の形は大きく変わりました。国家公務員給与は上場企業平均給与と連動していましたが、さらに地方公務員給与を国家公務員給与と連動させたことで、それまでから一転して地方公務員は〈いい仕事〉になった。

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