2024年4月25日(木)

オトナの教養 週末の一冊

2015年11月22日

 日本学術会議の原子力平和利用3原則(民主、自主、公開)を森氏も支持していた。商業主義に走る政財界を批判しながら視野が狭く臆病な学会を叱咤激励、アメリカの政治圧力に対抗しようとソ連に接近し、ドイツなどと非核保有国の連携を模索した。

藤原章生(Akio Fujiwara)
1961年福島県生まれ。北大工学部卒業後、住友金属鉱山を経て毎日新聞社でローマ特派員等を務める。『絵はがきにされた少年』で第3回開高健ノンフィクション賞受賞。

 しかし、時代の流れは逆だった。電力業界は結局アメリカから軽水炉を輸入し、平和利用3原則は有名無実化。森氏が力を注いだ原子力損害賠償法も骨抜きとなり、99年には東海村のJCO臨界事故で作業員2人が死亡。森氏の「内側からの改革」は挫折した。

 「晩年、74歳の時に題名のような疑問を抱えますね。同窓生は事前に情報を得て家族が助かった。なのになぜ湯川さんは教えてくれなかったのかと?」

 「ええ、私も調べました」

 日本の科学者に事前に原爆情報が渡った可能性はシカゴ大学ルートなど複数あった。だが、確信に至らず記さなかった由。

 「栄光と失意の人生ですが、早い時期に森さんは、全電源停止に備え各原発に電源車配置を提案しています。今もし森さんが生きていたら、原発事故にどんな対応を?」

 「廃炉のために全力を尽くすか、原賠法で国の責任を徹底追及するか……。けれど今の社会は森さんを“面倒な人”、と呼び戻さないかも。どの企業も業績低迷で管理、管理。“貧すれば管理”の内向きな社会ですからね」

 藤原さんは苦笑いし腕を組んだ。

  
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◆Wedge2015年11月号より

 


 

 


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