2024年4月19日(金)

古希バックパッカー海外放浪記

2016年2月14日

 私は男の顔を昂然と見返した。そして静かに立ち上がりあたりをゆっくりと見回して「静かな儒学の聖堂で休んでいたら無礼で不愉快な言葉で起こされてしまった。まことに残念なことだ」と日本語でゆっくりと独り言のように、そしてその場の全員が聞こえるように明確に言った。再び男の顔を静かに見据えてからつとめて悠然と書院を下りた。

 果たして反日男以外のその場の韓国人はどちらに軍配をあげたであろうか。いずれにせよ聖堂で居眠りするのは儒学に対する礼儀違反というのは重々承知しているが。

ステーションで自転車専用道スタンプラリーのスタンプを押しているアンドレア

「愛車よ、あれが釜山港の灯だ」

 9月29日 朝から時々小雨まじりの曇天。午前中はひたすら走り続ける。1時頃カムジチャルッキョという町に着く。昼飯は食堂でピリ辛海鮮ちゃんぽん麺、6000ウオンなり。寒いので沐浴湯(銭湯)を探して3時から二時間ゆっくりと温まる。昼飯前に下見しておいた河川敷にある屋根付きの大きな野外ステージの舞台にテントを設営。近隣の老人が散歩の途中見物に来たので立ち話。

 9月30日 朝から北風が強く時々小雨の曇り空。さいわい追い風なので休まずに走る。山の中のダム湖の近くの食堂で昼食。女将のお勧めは参鶏湯(サムゲタン)。1万ウオンと値が張るが寒いので体を温めるためには絶好だ。アツアツの参鶏湯を付け合わせのキムチ、ナムルなどの漬物と一緒に食べているとサービスですと小鉢が幾つか出てくる。川で取れた煮魚や豆腐料理のようなものなど。片言のハングルをしゃべる日本人ということで女将は大盤振る舞い。最後には梨を切って持ってきてくれた。お土産としてなぜかチョコレートも持たせてくれた。女将の“おもてなし”で心身ともにリフレッシュ。

 午後になると追い風が強くなってきた。午前中50キロ走ったが、釜山まで50キロ以上もあり釜山手前で野営する計画を立てた。午後4時頃釜山まで20キロの標識を発見。フェリーの出港時間が午後7時であるから今日のフェリーに間に合うかも知れないと思ったら急に里心が湧いてきた。

 5時頃釜山近郊の高層アパート群が見えてきた。距離的には一時間半あればフェリー乗り場まで行けるはずだ。ところが市街地地図を持っていない。韓国全図と“地球の歩き方”の「釜山中心部」だけだ。その“釜山中心部”への行き方が分からない。地下鉄の高架沿いに中心部を目指そうと走り出したが30分走ると線路は丘のなかのトンネルに潜ってしまい自動車道は行き止まり。海岸線を目指して南下。海岸線近くになり手持ちの“釜山中心部”地図の西端に到達。

 ここからはひっきりなしに地図を見ながら釜山港方向に走る。時計は5時45分。釜山港旅客ターミナルから出発したときに産業道路沿いに釜山駅があったことを思い出して釜山駅を目指す。6時15分釜山駅通過。6時半旅客ターミナル到着。慌てて自転車を分解して輪行袋に収納。6時45分自転車と荷物を担いで大汗をかきながらタラップを登って関釜フェリーに乗船。

 フェリーの大部屋に入ると70歳の韓国舞踊を習っているという日本人男性がいた。日本人船客は彼だけであった。9月3日に釜山上陸以来はじめて出会った日本人であった。

キャンプ場で朝食に部隊チゲをご馳走になった大邱からの友人家族

⇒韓国自転車&テント旅1200キロ 完

  
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