WEDGE REPORT

2016年1月15日

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根本敬 (ねもと けい)

上智大学総合グローバル学部教授

1957年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。同大学院比較文化研究科博士後期課程中退。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授等を経て、現在、上智大学総合グローバル学部教授。専攻はビルマ近現代史。著書に『抵抗と協力のはざま――近代ビルマ史のなかのイギリスと日本』(同、2010年)、『ビルマ独立への道――バモオ博士とアウンサン将軍』(彩流社、2012年)、『物語 ビルマの歴史――王朝時代から現代まで』(中公新書、2014年)、『アウンサンスーチーのビルマ――民主化と国民和解への道』(岩波書店、2015年)など。

誤解④アウンサンスーチーを選んだ国民の民度は低い?

 さすがにメディアの中で「民度が低い」という表現を使った事例は見かけなかったが、総選挙後に筆者が参加した都内のある研究会で、「申し訳ない言い方だが」という断りつきで、「NLDが圧勝した今回の選挙結果を見ると、ミャンマーの国民はまだまだ民度が低いように思う」と正直に(?)語った日本の元外交官がいた。これは逆に言えば、現大統領テインセインを支える与党USDPを選べば「民度が高い」ということになるが、それではその根拠は何なのか。

 おそらくそれは、テインセイン大統領が2011年3月に就任してから4年半、国際社会も驚くような前向きの改革をやり遂げ、政治的にも経済的にもミャンマーを発展させる方向に進めたにもかかわらず、有権者がそうした事実を評価できる能力を持ち合わせず、「民主化」や「憲法改正」を訴えるアウンサンスーチーのカリスマ性に引きずられ、NLDに投票したのだという解釈ではないだろうか。

 日本政府は「オール・ジャパン」と称して、これまでテインセイン政権下のミャンマーに多角的かつ大量の援助を実施してきた。「日本が全力で支援してきたテインセイン政権がもたらした改革の果実を、ミャンマー国民が評価しないというのはどうかしている」という反発が、政府関係者やビジネスマンの一部にあり、それがこうした解釈を生みだしているように思われる。

 そのような見方はしかし、一番肝心な部分を見誤っている。有権者の多くはテインセイン政権4年半の改革の成果を評価基準にして投票したのではない。彼らは改革が始まる前に23年間も続いた軍事政権の「ネガティヴな実績」を重視し、それを合算して投票態度を決めたのである。なぜなら、テインセイン政権が軍政の名残を見せていたからであり、そのような政権に対する退場要求を突き付けたかったからである。換言すれば、国民は立法と行政の分野から軍に完全撤退してほしかったのである。

 有権者の多くはまた、政策判断ではなく、この国の指導者を選ぶ格好の機会として今回の総選挙を受け止めていた。旧軍政出身のテインセイン大統領の続投を選ぶのか、それともアウンサンスーチーを選ぶのか、彼らのもうひとつの投票基準は「ミャンマーの顔」を誰にするのが良いのかということにあったといってよい。

 その際、指導者の良し悪しは「人物の道徳性」によって判断された。もともと非暴力で闘い続けてきたアウンサンスーチーは、暴力で国家を統治してきた軍事政権よりも道徳的に優位に立っていたといえる。さらに、15年にも及んだ長期自宅軟禁から2010年11月に解放されたあと、今日に至るまで、彼女が公の場で軍政から受けた過去の抑圧に関し「恨み節」を語ったことが一度もなく、旧軍政関係者への復讐をほのめかしたこともない点でも、彼女は道徳的に優位にあった。有権者はこうした点を評価し、彼女とNLDを選んだのだと推測される。

 「道徳的規準で国の指導者を判断する」という考え方は、ミャンマーの王朝時代から続く人々の伝統的理解である。それを21世紀のいまに引き継いでいるミャンマー国民を、はたして日本人である私たちが「民度が低い」と言って見下す権利はあるのだろうか?

おわりに

 以上、アウンサンスーチーに関する4つの誤解について書き連ねた。私たち人間は、事実を知って誤解だということに気がつけば、それまでの認識を変えることができる柔軟な生き物である。それができない場合、誤解は偏見と化す。そして偏見は恐怖を生みだす原因となる。これもまた、アウンサンスーチーが著書『自由』(邦訳、集英社、1991年)の中で論じていることである。ここでとりあげたアウンサンスーチーに関する誤解は、放っておくと彼女に対する偏見にまで悪化しかねないものばかりである。そうならないことを切に祈りたい。

  
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