障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

“バリアバリュー”で世界狙え 障がい者だからできる事業とは
初瀬勇輔&㈱ミライロ垣内俊哉さん

大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

『障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド』 
障害者雇用支援コンサルタントの初瀬勇輔が、教育、ビジネス、スポーツ、福祉など社会で活躍する障害者と対談を行い、障害者を取り巻く現状を伝えるともに、障害者の活躍の場や雇用創出のヒントを探ってまいります。

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企業だからこそ出来ること

聞き手は視覚障がい者柔道選手であり、障がい者就労支援コンサルタントの初瀬勇輔さん

初瀬:障がい者団体はたくさんあるのですが、その中でも企業として取り組んでいくことがミライロさんの尖がっているところですね。2016年から「障害者差別解消法」が施行されますが、私は良いことだと思う反面、健常者との壁を作ってしまうんじゃないかという心配もしているんです。

垣内:アメリカにも同様の法律があるのですが、義務だからやっている感覚です。実際に移動は楽だったりするのですが、本当に喜ばれるものなのかは疑問です。そうではなく経済性の観点から、○○の部分をこう変えれば儲かりますよ、と伝えてあげることによってポジティブに取り組めるようになると思います。

初瀬:これからの社会は高齢者が増えるわけですから、みんなに喜んでもらえて、それが儲かることにも繋がれば、積極的に取り組む企業が増えてくるでしょう。それは説得力にもなります。障がい者がうるさいからスロープを付ければいいでしょ、ではネガティブで親切でないものができてしまいますからね。

垣内:大企業ではハード面の改修ができても、中小企業や小さな飲食店ではできないことがあります。でも、そうした企業が一歩踏み出そうとしたときにこそソフト面を充実させるのです。それが、ミライロが提案しているユニバーサルマナー検定です。

 現在、都内のある中高一貫校では中学生の必須授業に取り入れているところもあります。「できたらカッコいいよね」という感じのマナーにしていこうと「ユニバーサルマナー」という造語を作りまして、誰でも知っていて当然のことにしていこうとスタートしています。

初瀬:「カッコいい」というキーワードがいいですね。障がい者は暗いとか、触れてはいけないとか、そんなイメージを持っている人たちもいますので、カッコいいという言葉に転換されることによって、若者にも素直に受け入れられるようになると思います。

垣内:検定の講師は障がい者です。この検定をする前、もしくは、行った後に弊社の方で覆面調査を行います。企業は検定前と検定後でどれだけ伸びているか、どこを伸ばしていかなければならないかを把握できます。飲食店や美容院などに障がいのあるモニターが実際にお伺いして現状把握に努めています。そのうえで研修内容をどうするかや、別のアプローチをした方がよいのかなどを、クライアントさんと検証します。現状を知るという点だけではなく、効果検証という点で雇用を作っていきたいと考えています。

志しは「障がいを克服する」こと

初瀬:ところで垣内さんは先天性の障がいと伺っておりますが、なんという病名でしょうか。

垣内:骨形成不全症という骨の病気です。私の場合は足の骨折が多かったのですが、人によっては手であったり、背中であったりします。今までに骨折約20回、手術も10数回行っています。

 幼稚園から小学校に上がる際に普通の小学校には入学できないと言われましたが、母親が教育委員会や校長先生と話し合って普通学校に進学することになりました。自分が周りと違うことを認識していたのは幼少期からです。またその障害をあまりよくないこととして認識するようになったのは中学生になってからでした。

初瀬:先天性ですと小さい頃からいろいろな面で不自由があったと思うのですが。

垣内:私が育った岐阜県の中津川というところは積雪地帯ですので大変苦労しました。骨折が多かったので小学生の頃から車椅子を使っていました。歩くことがリスクなので、車椅子がなければ通えなかったのです。中学生になると周りに手伝ってもらわないと「学校にも行けない」「修学旅行や社会科見学にも行けない」と意識し始めて「歩けるようになりたい」「普通でいたい」という感情を抱くようになりました。

 私は17歳のときに3回自殺未遂をしているのです。周りのサポートがなければ何もできないことにもどかしさを感じていました。授業のたびに車椅子を運んでもらうにも周りの目が気になるんです。頼むにしても「今日はあの子は疲れてそうだ」とか「機嫌が悪そうだ」と考えてしまうのです。そのように周囲のことを伺い続けていかなければいけない生活に耐えられなくなってしまいました。

初瀬:私も目が見えなくなって自殺を図ろうとしました。私は中心視野がないので、文字を読んだり人の顔が見えなかったりするのですが、最初は歩くこともできませんでした。

 その当時はSUICAがない頃で、駅員さんに「すみません、僕は目が悪いので切符を買ってください」とお願いするしかなかったのです。それが毎日ですと「俺は人に謝るために生まれてきたのか」と感じるようになって、それを克服したいと思いました。

 だから垣内さんの気持ちもわかります。ですが、垣内さんのように学生時代から社会で活躍している方が、17歳くらいの頃に自殺したいという思いがあったとは……。

垣内:そういった思いが膨れあがって高校は中退。大阪に出て、手術をしてリハビリをしました。

 そのとき志したことは「障がいの克服」です。「歩けるようになろう」と決めるのですが、歩けるようにはなれなかったので、「歩けなくてもできることは何だろう?」と考えるようになりました。そして思い立って高卒認定試験(当時は大検)を取得して立命館大学に進学しました。

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「障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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