障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

2016年1月23日

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アルバイト先で出会った社長の言葉が人生の転機に

初瀬:在学中に会社を創業されていますが、どんな学生時代だったのですか?

垣内:私にとって良かったことは家庭の経済的な理由によってアルバイトをしなければならなかったことです。新聞配達やコンビニ、ファミレスのアルバイトができる訳ではないので、何ができるのか模索しながら履歴書を様々な企業に送りました。その中でホームページの制作会社が採用してくれたのですが、なんと営業職だったのです。

 車椅子なので営業に回れる件数は限られていたのですが、19歳の私の営業成績が一番良かったのです。

初瀬:車椅子で営業ですか? それも成績が一番なんて驚きですね。

垣内:その理由は相手から忘れられることがなかったからです。「また垣内が来た」ということで発注していただいていたのではないかと思います。ホームページの制作会社なんてたくさんありますからね。

 当時の会社の社長に言われたことは「胸を張れ、車椅子に乗っているからこそ仕事に繋がっているんだぞ。営業マンにとってこれほどの強みはない」でした。

 私は長い間、歩きたいと思っていました。歩けなくてもできることは何かと考えていました。ですが、そこで出会ったことは歩けないからこそできることでした。それは私にとって大きな転換点となりました。

初瀬: 障がい者にとってむずかしいところはアルバイトができないことです。アルバイトによって得られるお給料をもらったときの充実感、自分の稼いだお金で楽しむ経験、ビジネスマナーなどを得られる機会がほとんどありません。特に視覚障がいですとなおさらアルバイトができません。社会経験を想像力で補っているケースが多いんです。ドラマなどを見てですね。ですが垣内さんのお話を伺ってアルバイトができることを学びました。

垣内:当時はホームページの制作会社ともう1社掛け持ちでした。働かなくちゃいけないと思い始めたのは16歳のときで、車椅子でも、家から出なくてもできることをやろうと、インターネットで自分のネットショップを持って毎月7~8万円くらいは稼ぐようになりました。

 たとえ体に障がいがあってもICTがあればそれを補うことができる時代です。今の私たちはこうした時代に生きているので、外に出ることができます。外で働くことが出来る時代に生まれて、社会に活かされてありがたいと思っています。

初瀬:私も目が悪くなったのが今の時代で良かったと思います。パソコンの音声読み上げソフトがあるからこそ仕事ができているようなもので、30年前なら視覚障がい者はマッサージをやらざるを得なかったのです。それ以外の選択肢がなかったですからね。障がい者はICTに長けていないといけません。せっかく補えるツールがあるわけですから。

 垣内さんは19歳のときに営業でトップになって、正にバリアがバリューに変わり、生き方が変わったということですね。

垣内:少しずつ、少しずつです。自分たちの事業がどれだけ社会にインパクトを与えているかわかりませんし、どれだけ貢献できているかもわかりません。しかし、こうして私が歩んでいる姿が誰かの光になれればいいと思っています。

日本人の強みの繊細さを世界に発信

垣内:立命館大学の経営学部の起業家養成コースで、副社長の民野剛郎と出会いました。

 最初は教室の片隅で友人5人で事業計画を立てて、銀行や新聞社などが行っているビジネスプランのコンテストに応募していたのです。最初こそ全滅だったのですが、バリアフリーに関するものでは高い評価をいただきました。そこで、この視点は価値になるし、受け止めてもらえると自信を持ちました。500万円くらいの賞金を得まして、それを5人で分配して、民野と私の200万円を元手に3年生のときに法人化して、マンションの一室から2人でスタートしました。

初瀬:事業の核となったのはコンサルティングですか?

垣内:コンサルティングもですが、バリアフリーの地図を作るというデザイン系の仕事が核となりました。それも簡単ではなくて、飛び込み営業で大阪をはじめ、関西は400カ所を二人で手分けして回っていました。そんなことを1年半やって2期目から黒字化しました。

 私のビジョンと民野の経営思考が織り交ざったものが、今日のミライロの姿です。私だけならば、社会的思考だけに留まってボランタリーなものになっていたかもしれませんが、相方がビジネス思考だったために今日まで継続できています。

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