2024年4月20日(土)

母子手帳が世界を変える

2016年1月20日

 

親子の絆としての母子手帳

 2011年3月11日に、東日本大震災が起きました。母子健康手帳に関する厚生労働省母子保健課の対応は、きわめて迅速でした。大震災のわずか3日後の3月14日には、被災者から申し出があった場合には、住民票の異動の有無にかかわらず、避難先の自治体において母子健康手帳の交付について対応するようにという事務連絡を行いました。

 ところが、予備の母子手帳もろともに市庁舎ごと津波で流された被災地の自治体もありました。岩手県陸前高田市です。陸前高田市では、津波で自宅を流された人が母子手帳の再交付を希望して、被災直後から市に問い合わせが入りました。乳幼児にとっては、健康保険証と母子手帳は大切な証明書。自宅を流され避難所や知人宅での厳しい生活の最中にかかわらず、母親は子どものために行動したのです。ところが、母子手帳の再交付をしたくても、市には母子健康手帳は一冊も手元に残っていませんでした。  

陸前高田の一本松(iStock)

 日本ユニセフ協会と協力して陸前高田市で支援活動を行っていたNPO法人HANDSは、震災の前年から博報堂生活総合研究所の「日本の母子手帳を変えよう」プロジェクトに協力していました。その縁を活かして、博報堂から急遽、真新しい母子健康手帳を陸前高田市に無償提供してもらいました。行政と民間企業の間を国際NPOが取りもつことによって、被災した母と子のニーズに迅速に応えることができたのです。陸前高田市では、2011年8月末までに、372件の母子健康手帳の再交付を行うことができました。

 一方、避難先で新しい母子手帳を入手することができても、妊娠中の健診記録や予防接種記録が真っ白なままの母子手帳は、せつなかったといいます。かえって、子どもの記録をすべて流してしまったのだという喪失感を強めてしまったのです。

「いーはとーぶ」の威力

 岩手県遠野市には、被災後に山をへだてた沿岸部から避難してきた母子が少なくありませんでした。そこでは、新しい母子手帳を交付すると同時に、保護者の了解を得て、失われたはずの妊婦健診記録を助産師が記入することができました。これは、2009年4月から運用されていた「いーはとーぶ」(岩手県周産期医療情報ネットワークシステム)の威力でした。「いーはとーぶ」とは、安全・安心な妊娠出産育児のために、岩手県内の医療機関や市町村をインターネット回線で結び、妊産婦の健診情報や診療情報を共有するシステムです。病院が全壊し、市庁舎が流されたけれど、すべての医療記録が失われてしまったのではなく、周産期医療情報のネットワークを通じて、被災しなかった病院や市町村のコンピュータから再生することができたのです。真新しい母子手帳にコンピュータからの情報を書き写してもらった母親は、助産師と手を取り合って泣いたといいます。

 母子手帳には、単に保健医療の記録として使われるだけではなく、母親や父親の思いが込められています。とくに災害時には、子どものいのちや成長の証しとしての意味合いが一層深まることを経験しました。病院だけでなく、市町村を巻き込むことにより、地域全体の母子保健の向上につなげたい。そんな思いで発足した安心・安全を追及した平時のシステムが、大震災のときにも役立ったのです。

 これまで母子手帳が果たしてきた親子のきずなとしての役割に加えて、情報のセーフティネットを構築するという発想からも、デジタル母子手帳の可能性を追求する時機が到来しています。


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