2024年4月20日(土)

ひととき特集

2009年10月25日

 中嶋住職より、釈迦如来は過去仏、薬師如来は現在仏、阿弥陀如来は未来仏である、との鬼会の世界の話を教えていただいた。ということはこの本堂のなかに、過去、現在、未来が渾然1体となって同居しているのだ。

天念寺裏山の遥か高みにかかる無明橋。「鬼会の里 歴史資料館」脇から望む
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 無動寺正面の遥か遠くの絶壁に天念寺無明橋(むみょうばし)が見えた。修験の入峰行(にゅうぶぎょう)のときに、この橋を渡る。無明とは「人間の煩悩の根本」であって、橋を渡ることで煩悩や欲望を捨てるのである。断崖の谷にかかる無明橋は、アーチ型の石造りで、長さ5.7メートル、橋幅1.2メートルという。手すりはない。油断すれば、橋からまっさかさまに落ちてしまう。

 天念寺は、無動寺の前を流れる真玉川(またまがわ)の対岸にあって、天念寺からは無明橋がよく見える。空中にかかる煩悩退治の橋を見るだけでブルブルとふるえてしまうのであった。修験は山野を駆けめぐり、霊験を得る修行である。役小角は山中の修行で呪力を得たが、自然との一体化による即身成仏がその根幹にある。無明橋を渡ったことがある船尾さんが「なに、どうってことはなかったですよ。ひょいひょいと渡った」というから、この写真家は天狗じゃないか、と顔をジロジロ見た。

 天念寺横の「鬼会の里 歴史資料館」には一木彫(いちぼくぼり)像の平安時代仏像が6体あり、国の重要文化財に指定されていた。寺の背後にある岩屋の穴(仏龕(ぶつがん))に置かれていたため、腕や両足さきの台が欠損している。昭和36年、本堂再建の資金を得るため、中心の仏像である阿弥陀如来立像を埼玉県の鳥居観音へ売ってしまった。すると、中心の仏像が欠けたため重文指定をはずされた。平成9年に地元の尽力により、9千万円で買い戻されて里帰りした、といういわくつきの阿弥陀如来像である。

 国東半島の仏師が製作した素朴な趣きがあるが、両方の手のひらが、焚火にあたるように直立している。九品来迎印(くほんらいごういん)のひとつと推測されるが、ぎこちなく、どこか変である。これは後世の修理のとき、接合を間違ってしまったのかもしれない。

 天念寺に戻った流浪の阿弥陀如来は、ふくよかな頬に涙を流しているように見えた。ビデオルームで天念寺修正鬼会が上映されている。旧正月7日に執行される法会で、松明をかざして五大龍王に祈願し、鬼の面をつけた僧侶が二十一走飛行(鬼走り)する秘儀である。国東の鬼は追い払われる悪者ではなく、「鬼に姿を変えた御先祖様」なのである。ビデオには鬼会を踊る中嶋住職と、それを撮影する船尾さんの姿が映っていた。

 天念寺の斜め前に川中不動がある。

 長岩屋川の巨岩に、不動明王と二童子の三尊が彫られている。地元の仏師が彫った像はふんわりとやわらかく、川面に反射して揺れ、生きているようだ。この地では不動明王や阿弥陀如来が、岩場からぬっと顔を出して人々と交感している。神と仏と人間が一緒に暮らしているのだった。ふりかえれば断崖絶壁の奇岩に天念寺と身濯(みすすぎ)神社が食いこんでいる。薄暗がりの堂内に燈明がほんのりとついている。

 異界にさまよいこんで、頭をぐらぐらさせながら、宇佐別府道路に入り、湯平(ゆのひら)温泉(由布市)へ向かい、「志美津旅館」に泊まった。

<第4回に続く>
*次回は10月27日(火)を予定しています。

 

 

著者:嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)
1942年静岡県生まれ。作家、エッセイスト。雑誌編集者を経て、執筆活動に入る。88年『素人包丁記』により講談社エッセイ賞を、2000年『芭蕉の誘惑』(後に『芭蕉紀行』と改題。新潮社)によりJTB紀行文学大賞をを受賞。06年、『悪党芭蕉』(新潮社)により泉鏡花文学賞と読売文学賞受賞。近著『旅するノラ猫』(筑摩書房)、『下り坂繁昌記』(新講社)など著書多数。旅と温泉を愛し、1年のうち8ヵ月は国内外を旅行する。
カメラマン:船尾修(ふなお・おさむ)
1960年兵庫県神戸市生まれ。筑波大学生物学類卒業。出版社勤務を経て、さまざまなアルバイトをしながら世界を放浪。そのときに写真と出会う。アジア・ アフリカを主なフィールドに、【地球と人間の関係性】をテーマに撮影を続けている。2000年から【日本人の心の原郷】を映像化するために大分県の国東半 島に移住。主な著作に、『アフリカ 豊饒と混沌の大陸(全2巻)』『UJAMAA』(共に山と渓谷社刊)などがある。大分県立芸術文化短期大学非常勤講師。第9回さがみはら写真新人賞受賞。オフィシャルサイト→http://www.funaoosamu.com/

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