BBC News

2016年1月15日

英ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)の舞台から映画「ハリー・ポッター」のセブルス・スネイプに至るまで数々の名演を残した英俳優アラン・リックマンが14日、がんのため亡くなった。69歳だった。(文中敬称略)

家族は14日、「俳優、監督・演出家のアラン・リックマンはがんのため、69歳で亡くなりました。家族や友人に囲まれていました」と発表した。

朗々と響くなめらかな声が特徴の一つだった。おかげでどんな台詞の切れ端でも、思慮深く意義深い言葉のように聞こえた。

その声を恐怖の予兆で彩ることもできた。「ダイ・ハード」、「ロビン・フッド」、そしてはかりごとに長けた魔法薬学の教授セブルス・スネイプを演じた8本の「ハリー・ポッター」シリーズといった映画では、災いの予感を秘めた声を実に効果的に使った。

ロマンティックな主役も演じた。たとえばアンソニー・ミンゲラ監督の1991年映画「Truly, Madly, Deeply」(邦題「愛しい人が眠るまで」)のように。そして後には自ら監督するようになった。

ロンドン西部アクトンで4人きょうだいの2人目として生まれた。母マーガレット・ドリーン・ローズは主婦、父バーナード・リックマンは塗装・内装業者だった。

わずか8歳の時に父親が肺がんで死亡し、母親は独りで生計を支えなくてはならなかった。

後にリックマンは母親についてこう語った。

「実にたくましい人でした。何でもできた。色々な仕事をして、色々な職業訓練を受けて、絶え間なく変わり続けた」

リックマンは幼い頃から芸術に興味を示し、王立芸術院(ロイヤル・アカデミー・オブ・アート)でグラフィックデザインとタイポグラフィー(活字技術)を学び、学内誌「ARK」にライターとして参加した。

卒業後は仲間数人とグラフィックデザイン事務所「Graphiti」を立ち上げるが、演劇には常に関わり続け、3年後には退職。小劇団ベイスメントの舞台監督助手になった。

それからリックマンが王立演劇学校(ロイヤル・アカデミー・オブ・ドラマティック・アート、RADA)にオーディションの願書を出したのは26歳の時だ。合格して驚いたのは本人だった。

「自分より年上の人もいたのが何よりだった」と後にリックマンは振り返っている。

RADA卒業後はいくつかのレパートリー劇団の舞台に出演した後、RSCに参加。RSCの本拠地ストラトフォードで女優ルビー・ワックスと一緒に一軒家を借りて住んだ。

しかし1シーズンが過ぎるとリックマンはRSCに幻滅して退団する。「舞台の上でほかの役者に怒鳴るより、話しかける演技を身につけたいから」というのが理由だった。

リックマンは間もなくテレビに次々と出演するようになり、BBC製作の「ロミオとジュリエット」(1978年)ではティボルトを演じた。1982年には「スマイリーと仲間たち」と「The Barchester Chronicles」に出演した。

1985年のRSC復帰は以前よりも実り多く、若さ故の不安や悩みを乗り越えたリックマンは、クリストファー・ハンプトンが新たに戯曲化した「危険な関係」の初演で主役を演じた。

遊戯としての性に興じる物憂げなバルモン子爵を演じたリックマンについて、ガーディアン紙は当時「ミルクのありかを承知している猫のように、狡猾に、超然と、周りの出来事の合間をすり抜けていく」と書いた。

メルトイユ侯爵夫人として共演したリンジー・ダンカンはもっと直接的にこう言った。観客はセックスがしたいと思いながら劇場を後にするだろうし、「できればアラン・リックマンと」と思っているはずだと。

「危険な関係」の公演はストラトフォードからロンドンのウエストエンドに移り、さらには米ブロードウェイへと渡り、リックマンはトニー賞候補となった(2002年には「私生活」でも候補になった)。

次に取り組んだ役が、映画「ダイ・ハード」のハンス・グルーバーだった。辛辣なテロリストの役はリックマンに国際的な名声をもたらしたし、ブルース・ウィリスの熱演とは対照的なグルーバーの都会的な皮肉や冷徹な暴力性の描写によって、映画そのものも単なるお約束のブロックバスターとは一線を画す作品となった。

リックマンは「ダイ・ハード」の作中だけでなく撮影現場でも、対決を選んだ。女優ボニー・ベデリアを地面に投げ飛ばすよう脚本には書かれていたが、リックマンはこれを拒否したのだ。

「自分の役は歪んだ形ではあるけれども、とても洗練された人間だったので、そんなことをするはずがない。ボニーの役も同じだ。自分をしっかりもったキャリアウーマンが、大人しくされるがままになるはずがない。脚本の指定は単なるステレオタイプだった。女性を永遠の被害者として描く。特に考えもしないでそういう風に書いていたんだ」

リックマンはほかの役についても、その内面を深く考察して表現した。とりわけ、ジュリエット・スティーブンソンと共演した映画「Truly, Madly, Deeply」では、自分が死んだせいで悲しみにくれる恋人を慰めるために戻ってくる幽霊を情感豊かに演じた。

悪役にも挑戦し続けた。ケビン・コスナー主演の映画「ロビン・フッド」では悪代官として「人道的な斬首刑はもう止める! クリスマスも中止だ!」と叫び、主役を完全に食ってしまった。

「ハリー・ポッター」シリーズではセブルス・スネイプを繊細に表現し、おかげで作者J.K.ロウリングが小説で明らかにするはるか前から、観客はこの人には何かとても辛い過去があるのかもしれないとうかがい知ることができた。

映画シリーズのプロデューサー、デイビッド・ヘイマンは「役柄を本当に理解していた」と話す。「今になって振り返ってみると、いつも何かもっと奥にあるものを表現していたのが分かる。さりげない目線や表情、ちょっとした思いの表現が、これからどうなるかのヒントだったんだ」。

「シリーズ全体を通じた彼の存在感はとてつもないし、表現した思いの深さは計り知れない」

作者J.K.ロウリングは訃報を受けて、「アラン・リックマンの死を知って、とてつもないショックに打ちのめされています。とても言葉にできない」、「見事な俳優で素晴らしい人だった」とコメントした。

ハリー・ポッターを演じたダニエル・ラドクリフは「後にも先にも紛れもなく、最も偉大な共演者のひとりだ」、「自分の成長過程で共演できたのは自分にとって、ものすごく大事なことで、教わった色々なことを今後もずっと、人生とキャリアにおいて、大切にしていく」と書いた。

リックマンは、役に没入してしまうたぐいのメソッド俳優では決してなかった。撮影中も役を離れて、役者仲間にいたずらを仕掛けるのが好きだった。その様子がカメラに撮られていたこともある。

映画ではほかに、「スウィーニー・トッド」、「マイケル・コリンズ」、「ドグマ」などに出演。「銀河ヒッチハイク・ガイド」では、永遠に落ち込んでいる鬱のアンドロイド「マービン」の声を担当し、ロボットに哀愁を吹き込んだ。

エマ・トンプソンがジェーン・オースティン小説「Sense and Sensibility」(分別と多感)を脚色した同名映画(邦題「いつか晴れた日に」)では、ブランドン大佐を演じ、その後も繰り返し作品を共にした。映画「ラブ・アクチュアリー」ではトンプソン演じる妻を裏切る夫を演じ、後にはスコットランドを舞台にした自らの監督デビュー作「ウィンター・ゲスト」で、トンプソンと組んだ。

トンプソンは訃報のあと、「アランは友人でした。今お別れのキスをしたところなので、これを書くのがとても難しい。この辛い別れのときに何より思い出すのは、彼のユーモアと知性、賢くて優しいところです」、「そして何より、彼は貴重で唯一無二の人で、彼のような人には二度と合えないでしょう」などとコメントを発表した。

監督2作目の「A Little Chaos」(邦題「ヴェルサイユの宮廷庭師」)には、「Sense and Sensibility」で共演したケイト・ウィンスレットが出演し、仏王ルイ14世の新しいベルサイユ宮殿で庭のひとつを設計するよう選ばれた女性サビーネを演じる。

ルイ14世を演じたリックマンは映画のプロモーション中、撮影現場で監督と俳優の二足のわらじを履くのがいかに大変か語り、友人レイフ・ファインズの言葉を借りて「自分を演出するのは危険だ。『もう1回』とやり直すのが恥ずかしくなるから」と話していた。

舞台では「危険な関係」の演出家ハワード・デイビースと共演者リンジー・ダンカンと2002年に再び組み、ノエル・カワード作「私生活」に出演。ロンドンでの成功に続いてブロードウェーでも評価され、2度目のトニー賞候補となった。

一方で、1992年の「ハムレット」はむしろ不評で、劇中の台詞をもじって「明白なミス」と批判する劇評もあった。

舞台出演はほかに、1998年には英ナショナル・シアターのオリビエ劇場でヘレン・ミレンと「アントニーとクレオパトラ」で共演したほか、2010年にはアイルランド・ダブリンのアビー劇場でヘンリク・イブセンの「ヨーン・ガブリエル・ボルクマン」に主演した。

2005年にはロンドンのロイヤル・コート劇場で舞台「My Name is Rachel Corrie 」初演を演出。パレスチナ・ガザ地区でイスラエル軍のブルドーザーに殺害されたアメリカ人学生を描いた作品は、高く評価され複数の賞を受賞した。

リックマンは演技術について語りたがらないことで有名だった。説明するのは「難しすぎる」というのがその理由だったが、英国映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)の昨年のインタビューでは、 「物語の世界に自分を明け渡すこと」が自分の職業だと話していた。

リックマンは10代のころに美術学校で知り合った恋人リマ・ホートンさんと結婚していたことを、昨年公表した。

亡くなる少し前まで映画出演を続けた。無人小型機(ドローン)を使ったケニアの戦いを描いたヘレン・ミレン主演の「Eye in the Sky」は今年3月にアメリカで公開予定。青い毛虫の声をあてたティム・バートン監督の「Alice Through the Looking Glass」は、今年5月から欧米で公開予定だ。

(英語記事 Obituary: Alan Rickman)

提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35320597

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