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2016年1月18日

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野嶋 剛 (のじま・つよし)

ジャーナリスト

1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『謎の名画・清明上河図』(勉誠出版)、『銀輪の巨人ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)。訳書に『チャイニーズ・ライフ』(明石書店)。最新刊は『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com

「台湾は台湾であろうとする心」と
「安心できる生活を営みたいという心」

 では、台湾の人々は何を思って、今回、民進党にこれだけの票を投じたのだろうか。このことを理解するには、台湾の人々の投票行動を左右する「二つの張力」について考えてみることが近道かもしれない。

 台湾の政治では2つの「張力」がいつも戦いを繰り広げている。それは「台湾は台湾であろうとする心」と、「安心できる生活を営みたいという心」である。両者は通常は対立するものではないが、台湾においては時に二者択一の相反する回答が出る項目となり、対立の火種になりやすい。

 前者の「台湾は台湾」を背負うのは、民進党を中心とするグリーン陣営であり、今回躍進した「時代力量」もここに入る。一方、後者の「安定」を背負うのは国民党を中心とするブルー陣営である。この2つの心理は、常に台湾の人々の心のなかに、人によって割合の大小の差はあれ共存している。台湾で長年続いた外来政権統治に反発する心理と、厳しい国際情勢による将来への不安感が創り出した台湾特有の現象であり、理想と現実の絶え間ないせめぎ合いが台湾人の心の中では起きている。

 台湾では、中国との関係について対立を望まない「現状維持」が圧倒的な世論の支持を受けながら、自らを中国人ではなく、台湾人であると考える「台湾アイデンティティ」の持ち主の割合が急速に増え続けている。別の言い方をすれば、経済的に中国と近づきながら、政治的に(あるいは社会心理的に)中国とはますます離れていくという矛盾した状況であると言えるだろう。

 今回敗北した国民党の選挙で特徴的だったのは「我々に任せておけば、中国とも米国ともうまくやっていける。民進党に任せておいたら大変なことになる」という主張だった。安全をたてに取った、一種の恫喝とも言える。総統候補である朱立倫は、そうした危機意識をできるだけ有権者に持たせようと努力していた。だが、それは2008年や2012年の総統選では通用した手法だったが、今回は通用しなかった。なぜなら、現実主義的なアピールだけでは、理想を求める台湾の人々の心をつかむことができないからであり、2014年の貿易サービス協定に反対するヒマワリ運動が成功した本当の意味に、国民党や候補の朱立倫は十分に気づけなかったのかもしれない。

中国との関係は深まったが生活は豊かにならなかった

 また、中国との関係が深まったこの8年間において、地価は上昇し、中国人観光客はあふれたが、台湾人の生活は決して豊かにはならなかった。私と同世代の台湾の知人からこんな話を聞いたことが印象に残っている。

 「私が20年前に大学を卒業したとき、初任給は2万元だったが、地価は新築マンションで一坪5万元。10年働けば、小さな家が買えるという希望があって、ほぼその通りになった。私の息子は高校生だが、いまの大学生の初任給は平均3万元で、地価は中古マンションで一坪50万元。一生かかって買えるかどうかの値段で、結婚、出産を考えたら、夢も希望もない話で、少しは馬政権になって状況が良くなるかと思ったが、そうはならなかった。中国と貿易が増えても、観光客が増えても、大した違いはないと実感したんだ」

 台湾経済の雇用難や賃金の低迷、産業の空洞化はグローバリゼーションのなかで日本や韓国などほかの国々でも同様に起きていることで、馬総統の責任とは言い切れないところも多い。しかし、「中国と関係を良くする」ことの目標が「生活の向上」にあるならば、その目標が実現しない以上、中国との関係だけを売り物にしている国民党が見捨てられるのは自然の流れである。

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