この熱き人々

2016年2月19日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 60歳を前に漫才から新たな芸域へ。子どものころに聞いた耳の記憶を頼りに、物売りの売り声を磨き上げてきた。今、日本でただ一人の売り声漫談家として江戸の風情や魅力を伝え続ける。

 東京・新宿三丁目の裏通り。ビル街に隠れるように昭和の匂いが漂っている。その一角に落語色物定席「新宿末廣亭」がある。昼の部は正午から四時半まで。夜の部は五時から九時まで。昼から夜まで、ほぼぶっ通しで落語や漫才が続いている。昼の部もそろそろ終わりに近づくころ、物売りの売り声を色物芸に作り上げた宮田章司が登場した。

 客席との絶妙の掛け合いでリクエストを募ると、ポツポツと「金魚屋?」「焼き芋屋?」という、やや自信なさ気な声が上がる。聞いたことはないけれど、そういうのがあったような……そんな声をすかさず拾って「金魚~ぇー、金魚ー」「いーしやぁーーきぃいもぉー やーきたてぇ~~」と、独特の節回しを披露する。売り声が町に響いていた江戸の風情や人情を巧みに織り込みながら、客席からの手拍子に合わせて唐辛子売りの声。「売り声は江戸のラップなんですよ」と言うと、二階席を埋めた修学旅行の高校生たちがどっと反応する。おそらく物売りの売り声を聞いたのは初めてなのではないだろうか。

 出番を終えた宮田の姿は、10分後には末廣亭裏手にある木造の床がギシギシと懐かしい音をたてる芸人たちの集う喫茶店に。長い時間をかけて醸成された店と客の濃い空気が漂い、時代が一気に過去にすべったような不思議な雰囲気。舞台衣装の着物姿に全く違和感がない。

 「舞台では売り声を聞いてもらうために声を大きく張っていますけど、実際はもっとソフトで情緒があったんです。アタシが実際にものを売っているわけじゃなくて、芸として物売りの声そのものを売っているわけでして、そういう意味で声のトーンが違うんです」

 町中で人を集めてものを売るほうが大声を張るのではと思ったが、逆だという。

 「江戸時代は『時々の時計になれや小商人(こあきうど)』と言われるくらい、朝は納豆売りやシジミやアサリ売り、煮豆売りが来て、昼を過ぎると鋳掛屋(いかけや)や生活用品売りが次々やって来て、豆腐売りの声が響けば夕方というように、売り声は時計代わり。求める人が待っていてくれるからむやみに大声張り上げる必要がない。でも売り声の芸は聞いてもらうという姿勢だから、どうしても声が大きくなるってわけです」

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