佐藤忠男の映画人国記

2009年11月13日

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  福岡県は映画界に豊富な人材を供給してきている。まず、男のなかの男、男らしさの権化のようなスターといえば、昔は『丹下左膳』役者の大河内傅次郎(おおこうち・でんじろう、1898〜1962年)、近年なら東映仁侠映画の高倉健、というところがトップだと思うが、大河内は上毛郡大河内村(現豊前市大河内)の出身、健さんは中間市中間町の出身である。九州男児というのはやっぱりいるんだなあ。

  この高倉健が仁侠映画の全盛時代が終わって堅気の人間も演じなければならなくなった頃に、前科者ではあるが根はまじめな炭鉱労働者という、役柄転換にはもってこいのとってもいい役を『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)で演じた。そのとき、やはり九州男児のその主人公から九州人にしては軽薄で恥ずかしい、と説教される役だったのがこれも福岡市出身の武田鉄矢だった。もちろんそれは役の上のことである。本人はけっこう一言居士のようで、ラジオでの知的なお喋りなど、中身も濃くて私はなかなかのものだと思っている。

高倉健の大ヒットシリーズ「網走番外地」の中の1作、「新網走番外地 流人岬の決斗」(69年公開)。のちに「駅・STATION」や「居酒屋兆治」「あ・うん」などの傑作を世に送った降旗康男監督とのコンビは、この作品が最初である。東映ビデオから発売中(レンタル中)。5250円。

  九州男児らしさにこだわれば、男は口数が少ないという高倉健イメージの先輩には、ぼうようとして細かいことにはこだわらないみたいな風格が男らしくてよかった小倉出身の大日方傅(おびなた・でん、1907〜1980年)がいるし、最良の『姿三四郎』役者だった久留米出身の藤田進(1912〜1990年)なども武骨で朴訥が身上だった。それで戦争中には軍人役がやたら多かった人である。やはり久留米の出である石橋凌は、長年超低予算のビデオ・シネマのスターだったため、広く知られる機会にめぐまれなかったが、ようやく『AIKI』(2002年)で合気道の名人をやって名を高めたとき、その演技の風格はじつに大河内傅次郎に近いものであった。ぐっと大きく胸をはって、大きく眼を開いてハッタと相手を見据えるのである。

  そういう武骨なタイプばかりではない。一時期、甘いやさ男の代表格だった郷ひろみは粕屋郡須恵(すえ)町の出身だし、草刈正雄は小倉である。荒っぽい芝居も上手いがそこに甘さや喜劇味を加えて人の好さを見せるのに妙を得ている陣内孝則は大川市。神経の細やかな演技派の光石研は北九州である。

  女優では伊佐山ひろ子と牧瀬里穂が福岡市だし、松田聖子は久留米、萩尾みどりは北九州は八幡である。こうしてみるとやはり、ハキハキものを言って臆せず動くという共通のキャラクターがあるのかもしれないという気がしてくる。

  福岡市で毎年9月中旬に10日間ほど、「アジアフォーカス・福岡映画祭」という催しがある。私は数年前まで、そのゼネラルディレクターをつとめていた。アジアの映画の新作を集め、その監督や俳優たちを多数招いて上映後の観客との話し合いをたっぷりやることを重要な特色としていたのだが、アジアの映画人たちから、福岡の観客は水準が高くていい質問をしてくれると言われるのがなにより嬉しかったものだ。(次回は福岡県その2)
 

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