赤坂英一の野球丸

2016年2月10日

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赤坂英一 (あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。最新刊『すごい!広島カープ 蘇る赤ヘル』(PHP文庫、『広島カープ論』増補改訂版)が重版出来で2万部突破。ノンフィクション『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)が第15回新潮ドキュメント賞にノミネートされた。ほかに『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)など。

 宮崎へプロ野球のキャンプを見に行く機会があったら、ぜひ清武町のオリックスに足を伸ばしていただきたい。一軍の本球場、二軍のサブグラウンド、2カ所のブルペンに室内練習場と、すべての施設が歩いて回れる距離に集まっているので満遍なく見学することができる。同じ宮崎でキャンプをしている巨人やソフトバンクと比べると、さほど混雑していないので、主力選手からサインをもらえるチャンスも多い。ファンがネットピッチングやティー打撃のできる施設も作られている。

 そんなオリックス・キャンプの主役と言えば、やはり〝超人〟、というより〝天然男〟と言ったほうが通りがいいかもしれない糸井嘉男だ。投手はパ・リーグを代表するエースとなった金子千尋、野手にもブランコ、中島裕之、小谷野栄一、T-岡田と大勢タレントがそろっているが、実績と存在感では糸井が群を抜いている。昨年は日本ハム時代の2009年以来6年連続で維持していた打率3割を切って2割6分2厘まで落ち込んだ。原因は左膝と右足首故障で、オフには激痛を伴う血小板の注射を40本も左膝に打ったという。

 この糸井が復活できるか否か、連日懸命の個人指導を続けているのが、今季から新たに打撃コーチとなった高橋慶彦氏だ。球出しの位置を細かく変えてティー打撃をさせたり、サッカーボールをバットで打たせたり、素人では少々理解しがたい練習に、糸井も目の色を変えて取り組んでいる。高橋コーチ自身、広島での現役時代は人一倍の〝練習の虫〟として知られていただけに、糸井としても大いに学ぶところがあるのかもしれない。

パチンコ屋に入り浸った大学時代

 糸井は昔から〝天然〟に加えて大変〝気分屋〟のところもあり、非常に指導者泣かせの選手だった。エース投手だった近畿大学時代は治療と称して練習をサボり、パチンコ屋に入り浸っていたこともしばしば。プロ入り3年目で野手に転向したときは、ときに「あああっ!」と叫んで練習場から出て行ったり、ときに右中間にフライが上がっているのに左中間へ走っていったり、さらには「右中間を守れ」と言われて「ウチュウカンって何ですか?」と聞き返したりと、様々な〝奇行〟で当時の担当コーチを閉口させていた。

 だが、根は極めて真面目な人間だと思う。私が3年前、拙著『プロ野球コンバート論』(PHP研究所)のためにインタビューしたときも、真剣な顔でこう語っていたものだ。

 「野手になれと言われたときは悩みました。投手ができなくなること自体、野球を辞めろと言われたのと同じでしたから。1週間ほど眠れなかった。一時は死のうかと……」

 そう言われて私が驚くと、糸井は照れ笑いしながら「ウソですけどね」と付け加えた。

 「しかし、野手転向の練習は本当に辛かったです。こんなに苦しい思いをするなら、球団に火を点けて燃やしてやろうかと……」

 そう言われてまた私が驚くと、糸井もまた照れ笑いしながら「それもウソですけどね」とくる。つまり、それほど大変な思いをしたんですよ、と言いたい気持ちが、このように独特の言語感覚となって表れるのだ。球界一の〝天然男〟と言われる所以である。

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