Bangkok駐在便り

2016年2月18日

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 続いて2人目は男性・ボーイさん(仮称)。年齢は29歳。学生時代は文部省の奨学金で留学するほどの頭脳の持ち主で、日本語は堪能。両親が中華系のため、ルックスも日本人ともそう変わらず、タイ人と言われなければ気づかないかもしれない。そんな彼だが、一番最初に入った日系企業でいきなり大きな壁に出くわす。

面接時と話が違う仕事
ボーナス支給後に退職

 自動車部品などを扱う商社に入社したボーイさん。当初、営業職という約束で入社したものの、気がつけば、回ってくる仕事は通訳ばかりになっていた。「面接時と話が違う……」。これは「日系企業あるある」だったりするが、日本人はタイ語はおろか、英語も苦手な人が多く、あらゆるシーンで日本語堪能なタイ人に頼りがち。ボーイさんは、本来の営業という仕事は取り上げられ、通訳に終始する日が続いた。希望していなかった仕事をやらされ、専門用語が連発する通訳の現場でときに日本人からなじられ、ストレスが溜まる日々が続き、1年で退職。退職届けを出したのは、ボーナスをもらった直後だった。「給料は悪くなかったです。最後は辛かったですが、ボーナスをもらいたかったので」。ちなみにボーナス支給後にタイ人の退職者が続出するのは、この国では日常的な光景。まだまだ売り手市場のタイでは、なんら不自然なことではない。

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 そして、2社目。ボーイさんには、さらなる不幸が待っていた。そこは日本人なら知らない人はいない、超大手の日系商社。今回もまた募集は営業職だったが、いつの間にか通訳にさせられていた……。1社目の悪夢がよぎったが、とき既に遅し。毎日毎日、通訳をさせられ、ついには体を壊して入院。1週間後、退院した彼に待っていたのは、日本人上司からの「サボりたかっただけじゃないの?」という非情な言葉だった。当時のことを思い出しながら、悲痛な顔を浮かべる彼を見て、こちらも心が痛む。日本の商社であれば、若手のうちから当たり前のようにキツい現場を体験するからこその言葉だったかもしれないが、その感覚は海外では通用しない。数日後、ボーイさんは退職届を出した。

 3社目は、バンコクから車で1時間半ほどの工業団地。契約社員だったため、「このまま続けていいのだろうか」と悩む日々が続いた。そんな折、まさかの2社目から「君をいじめていた日本人はいなくなった。戻ってこないか?」と誘われ、出戻りの形で復帰。戻った理由は、シンプルに「お金のため」。体を壊すほどのストレスを受けた古巣だったが、再び戻るというのが、なんともタイ人らしい選択だろう。

 しかし、順風満帆な日々はそう長くは続かない。携わったプロジェクトが買収によって、頓挫したため、自ずと退社することとなった。現在では5社目が決まり、落ち着いた生活を取り戻しつつある。「まさか30歳前で5社も経験するとは思いませんでした。なかなかうまくいかないものですねぇ。今回は長く勤めたいと思いますよ」。どこか吹っ切れた彼の顔を見て、こちらもどこかホッとした。

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