教育の原点を考える

2016年3月11日

»著者プロフィール
閉じる

池上眞平 (いけのうえ しんぺい)

元富士フイルム顧問

京都大学大学院工学研究科卒業。写真に興味を持ったことがきっかけで昭和45年に富士フイルムに入社。富士フイルムホールディングス取締役・常務執行役員兼務、富士フイルム顧問等を歴任、画期的なカラー写真フィルム開発の夢を実現し、平成23年退社。現在は社会に”恩返し”すべく、子供と若者に焦点を定めて様々な活動を行っている。

 はじめ塾を巣立ち、小田原市長として活躍されている加藤憲一氏。はじめ塾でどのように過ごし何を学んだか、塾生活が今の活動にどう役立っているか、そして今改めて感じるはじめ塾の意義について、自身のエピソードを交えて語っていただきました。

小田原市長として活躍されている加藤憲一さん

Q.はじめ塾に通い始めたきっかけと、はじめ塾での生活について教えて下さい。

 はじめ塾には小学5年生の2月から通い始めました。塾に通っていた友達に誘われたのがきっかけで、どんな塾かはよく知りませんでした。自宅から徒歩3分ほどで着いてしまう距離であり、母も快諾してくれました。

 塾での学習会は正座から始まります。その後重正先生の著作『葦かびの萌えいずるごとく』という本を輪読し、そこから学習に入ります。学校の勉強は二の次で、それよりも人としてどう生きるか、ということに力点が置かれていました。

 春・夏休みなどの長期休みの際には山北町の山村にあった「一心寮(現在は市間寮)」という合宿所で数日間の合宿をしました。寮でも早朝から正座をし、遊びに行くという雰囲気ではなく、炊事、風呂焚き、まき割り、道普請など、ひと通りのことを自分たちで行う生活をしました。

 はじめ塾の存在意義は、ごく普通の青少年がよりよく生きるための勘所を教えるということ。したがって抽象的な言葉としての教えではなく、生活中の行為とワンセットであり、自然の中での生活を基盤とした学びの場でした。寝食を共にし、季節ごとの農作業をし、それを通じてトラブルがあれば乗り越えるためどうすればよいか考えました。生活を通じて学びが血肉化される環境があるということがはじめ塾の特徴です。

Q.はじめ塾のような学校とは異なる学びの場は、何かしらの問題を抱えた子どもが行く場所、といったイメージがあります。

 私が高校生になった頃から登校拒否の問題が叫ばれるようになりました。はじめ塾でも登校拒否の生徒を受け入れ始め、何らかの事情を抱えた人が来ることが多くなりました。そのような生徒であっても、塾に来る前に抱えていた問題や弱みは塾生活を通して回復していくケースが多かったように感じます。全ての生徒達がそれぞれの状況に応じて成長する機会を得られる場がはじめ塾であると思います。

 他方で塾生や講師以外の多くの人は、当時のはじめ塾に対し、学校の勉強の補習をするところ、という程度の認識を抱いていたのではないでしょうか。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る