WEDGE REPORT

2016年3月11日

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 タイにサッカーブームが到来する10年近く前、移籍先もなくタイに渡った青年がいた。「高校卒業後、一般企業に就職したんですが、『やっぱサッカーだな』って思ったんですよ。自分のキャリアを考えた時に思ったのが、海外へ行こうということでした。地元でスクールを手伝っている時に出会った師匠と呼ぶ人がいて、彼がブラジルやエクアドル、コロンビアでプレーしたことがあって。その海外の話がすげえ面白かったんです」と語る。スクール後に飲み屋で聞く海外サッカー話に感銘を受けた相原氏は、タイに知り合いがいる、という伝手とも言えないようなつながりを望みにタイに渡った。サッカー用品の他には、現金15万円とガイドブックだけを携えての渡航だった。

 「タイに行ってみたら、その知り合いがいなくって。しかもサッカーはシーズンオフの時期で。どうしようもないので、仕方なく、ストリートサッカーをして、『プロ選手になりたい』とアピールしながら過ごしていました。2カ月程して、練習生として声がかかって。テストを受けたらプロ選手になれたんです」。代理人はおろか、何の伝手もないまま、相原氏は独力でタイ・プレミアリーグのタイ・タバコ・モノポリー(現・TTMカスタムズFC)と契約。日本人選手として2番目のタイ・リーガーとなった。

相原豊氏は、生まれつき左手首から先がない先天性左手首欠損である。障がいがあるからこそ伝わるものがあると、タイでろう学校の子どもたちを指導している

バングラデシュを経てウガンダへ

 タイリーグでプレーした2004年シーズンを経て、翌年はバングラデシュリーグに移籍。日本人初となるリーグに行こうという選択の結果、場所も分からないままバングラデシュに飛んだ。外に出るのが嫌なほどだったというバングラデシュでは、時間だけは豊富にあった。この時、将来について深く考えたという。「まず、サッカースクールをしたいっていうのがあって。でも自分のレベルが分かるわけですよ。トップチームを指導する感じでもないよな、と。自分にできるのは、子どもたちと接して、楽しませることだって思ったんです。それから、そういや自分は障がい者だったな、って。生まれつき左手首から先がなくて、大人になってからは特に気にならなくなっていたんで、忘れていたというか、馴染みすぎていたというか。なんかしらでトップになりたいんで、障がい者サッカーの分野では、相原豊って言われるようになりたいな、と思ったんですよね」

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