赤坂英一の野球丸

野口みずき 五輪への最後の挑戦 名古屋ウィメンズマラソン
リオデジャネイロ五輪代表最終選考レース

赤坂英一 (あかさか・えいいち)  スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。主な著書に『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『広島カープ論』(PHP研究所)など。

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ジャーナリスト赤坂英一による野球日記。現場目線で、野球の今を深読みしていく。

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 そんな福士、永山監督と野口、廣瀬永和・シスメックス総監督との間には浅からぬ因縁がある。野口は1997年、真木和に憧れてワコールに入社したものの、翌98年に監督だった藤田信之が経営者側と対立して解任。藤田に殉じた主力の真木、当時コーチだった廣瀬とともに野口もワコールを離れた。藤田の後釜としてワコール監督に就任したのが永山で、彼に育て上げられた選手が福士なのである。

 藤田、廣瀬、真木、野口らは職業安定所に通い、失業保険をもらいながら練習を続け、99年に商品先物取引会社グローバリーに入社する。ここで地力をつけ、01年11月の淡路島女子駅伝で福士を擁する古巣のワコールと対決、野口が勝負どころの4区を走って見事にグローバリーを初優勝に導いた。以後、初マラソンとなった02年の名古屋国際女子マラソン(現在のウィメンズマラソンの前身)で初優勝、04年アテネ五輪で優勝と、栄光の道を駆け上った過程は改めて語るまでもない。

 その野口と福士がふたたび相まみえたのは13年夏の世界陸上モスクワ大会である。故障に次ぐ故障で全盛期とは程遠い状態にあった野口は、33キロ付近で途中棄権。一方、5度目のマラソンだった福士は、35キロ過ぎで3位に浮上して銅メダルを獲得、立場は完全に逆転した。ちなみに、モスクワの宿舎では、野口と福士、コーチから監督になった廣瀬が永山と同部屋だったという。何とも皮肉だ。

足が壊れるまで走りたい

 私が初めて野口にインタビューしたのは07年夏だった。当時Wedgeで連載していた「SPORTS突き抜けた瞬間」の取材である。その後、様々な雑誌に依頼されて、折りに触れて話を聞くようになった。ロンドン五輪出場が叶わなかったとき、野口は噂されていた引退を否定し、穏やかにこう語っていたものだ。

 「私はワコールに入るとき、足が壊れるまで走りたい、と藤田さんや廣瀬さんに言ったんです。メダルがすべてじゃない。走れる間は走り続けたいと思う。弘山晴美さん(アトランタ、シドニー、アテネ五輪出場)みたいに40歳まで現役を続けられたらいいなあ」

 名古屋ではそんな野口らしい走りを見せてほしい。たとえ、リオには行けなくても。

  
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赤坂英一(あかさか・えいいち)

スポーツライター

1963年、広島県生まれ。86年に法政大学文学部卒業後、日刊現代に入社。88年より、スポーツ編集部でプロ野球取材を担当。同社勤務のかたわら週刊誌、月刊誌で、スポーツを中心に人物ノンフィクションを多数執筆してきた。主な著書に『失われた甲子園記憶をなくしたエースと1989年の球児たち』(講談社)『プロ野球「第二の人生」 輝きは一瞬、栄光の時間は瞬く間に過ぎ去っていった』(講談社)『最後のクジラ――大洋ホエールズ・田代富雄の野球人生』(講談社)『広島カープ論』(PHP研究所)など。

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