江藤哲郎のInnovation Finding Journey

2016年3月17日

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江藤哲郎 (えとう てつろう)

ベンチャーキャピタリスト

 鹿児島県出身。1984年慶應大商学部卒業。同年(株)アスキー入社。86年マイクロソフト(株)設立に参加し、マーケティング部長代理としてWindowsコンソシアム、マルチメディア国際会議等を立ち上げる。

 92年(株)電通入社後、デジタル・コンテンツの開発とビジネス化を推進。2002年から情報システム局でSAPアジア共通会計システムを中国・アジアの30拠点に導入他、国内外の全システム開発を担当。2013年から経営企画局専任局次長として、電通が約4,000億円で買収したイージスとのグローバルIT統合の責任者。

 2015年7月、ワシントン州カークランドにInnovation Finders Capitalを設立。AI、ビッグデータ等スタートアップを日本と繋げる。57歳。家族は妻と一男。
 

 2015年12月、恩師古川享(元アスキー取締役、前マイクロソフト本社副社長、現慶大教授)が自伝『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』(インプレスR&D)を出した。ビル・ゲイツとの会話や経緯も知らなかった裏話が天こ盛りで、マイクロソフト日本法人の初代広報宣伝課長だった私も驚く様な内容もあった。

 タイトルの副題としてEpisode1アスキー時代とあるので、マイクロソフト時代、慶大時代と続くのかもしれない。発行元であるインプレスR&Dの井芹昌信社長のご厚意もあり私の事も少し取り上げて頂いているが、流石このお二人のプロジェクトらしく発行形態はPOD(Print On Demand)の先端を行くNext Publishingだ。発行に寄せて、部下であり黒子であった私の目から見たアスキー時代のインサイドストーリーも少し書きたい。

 1985年も暮れようとしていた頃、南青山骨董通りにあったアスキーの会議室では取締役ソフトウェア企画部長の古川享の招集で部下が集められ、皆が真剣な面持ちで話を聞いた。トップ・シークレットだった。「マイクロソフトとの提携を解消する」。えっ!? アスキーはどうなるんだ……。

古川享氏 ©Naonori Kohira

 年末年始の休みに、立花隆の『宇宙からの帰還』を読んだ私は、アスキーにとってのアポロ計画を立てるしかないなどと意気込み、新たな提携候補を探す準備をした。その頃アスキーは既に年商100億を超え株式の店頭公開の準備も始まっていたが、内外においてその信用を支えるのは、マイクロソフト極東総代理店という大看板だった。提携解消が明るみに出る前に戦略的な提携先を決めて、ビル・ゲイツにとって代わる大物外タレを招聘したかった。

ボーン・イン・ザ・USA

 ネットウェアというOS(オペレーティング・システム)でネットワーク・ソフトウェアの市場をリードしたノベルは、ユタ州にある。州都ソルトレイクシティから南に車で2時間ほど走ったオーレムという町に、当時まだその本社があった。道は真っ直ぐで両側は荒涼とした風景。ブルース・スプリングスティーンのボーン・イン・ザ・USAを聞くなら、こういう風景が一番マッチするだろう。86年になり、いよいよマイクロソフトに代わる大きな商材を探さねばという一念に駆られ、先輩の渡邊新治と共にその地を訪れ交渉したが、ノベルからソースコードは一切開示しないという駄目出しを喰らって商談は仕切り直しとなり、サンフランシスコまで一旦退却した。新たな外タレになるはずのレイモンド・ノーダのアポすら取れなかった。

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