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2016年3月27日

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田部康喜 (たべ・こうき)

東日本国際大学客員教授

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 第2号機の格納容器の爆発を避ける方法は、ふたつあった。ひとつは、第1、3号機で行ったように格納容器の圧力を下げるために、容器内の空気をいったん水に通して放射能汚染物質を少なくしたうえで放出する「ベント」である。もうひとつは、SR弁と呼ばれる弁を開放して圧力を下げるとともに、水を注水する方法である。

 注水については、第3号機で、マニュアルにはない消防車で海水を原子炉に送り込むという方法で行っていた。ただ、この際には推定されたように原子炉の水位が上がらなかった。吉田所長には消防車による注水の効果に疑問が生じていた。のちに、わかったことは、消防車による注水はパイプの水路をつなぎながら、一直線にすべての流量が流れ込まず、4カ所で漏れていたのだった。この結果として注水した水量の半分しか原子炉に到達していなかった。

爆発の危機に陥った2号機に現場が下した選択

 SR弁で圧力を下げて、注水に失敗すれば、原子炉は「空焚き」状態となって原子炉格納容器の爆発の危険は高まる。

 最大の危機に陥った第2号機に対して、吉田所長をはじめ現場は「ベント」を選択しようとした。

 しかし、3月14日午後4時15分、官邸と当時の原子力安全委員会の班目春樹委員長は、SR弁によって圧力を下げたうえで注水するように指示した。

 吉田所長の未公開証言は「最後はしかたなかったけど、やむをえなかった」と述べている。

 SR弁を開ける作業によって、原子炉内の圧力は下がった。しかし、消防車の水が入らなかった。消防車の燃料が切れて、注水が停止していたのだった。第1、3号機の水素爆発などによって、構内はがれきが散乱して、消防車の点検ができなかったのである。

 同日午後9時すぎ、第2号機がメルトダウンする。ベントもできず、格納容器の圧力は高まる。

 吉田所長は「討ち死にになる。第2(原子力発電所)のほうも作業ができなくなる。あとは神に祈るだけだ」と考える。

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