障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

全盲を乗り越え弁護士に 一冊の本が変えてくれた人生
大胡田誠弁護士&初瀬勇輔氏

大元よしき (たいげん・よしき)  ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

『障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド』 
障害者雇用支援コンサルタントの初瀬勇輔が、教育、ビジネス、スポーツ、福祉など社会で活躍する障害者と対談を行い、障害者を取り巻く現状を伝えるともに、障害者の活躍の場や雇用創出のヒントを探ってまいります。

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初瀬勇輔さん

初瀬 それでも小学校卒業までは普通校にいらしたんですよね。

大胡田 6年生までは地元沼津の小学校に通っていました。僕は目が見えませんし、点字も読めませんから授業は耳で聞いて内容を理解しました。テストは先生に問題を読んでもらって答えていました。口頭試問という方法です。

友人のランドセルにつかまって通学

初瀬 見えなくなってからの通学は?

大胡田 親が友達の家まで車で送ってくれて、そこからは友達といっしょに学校に向かうのですが、僕は友達のランドセルにつかまって歩きました。家から学校までは歩いて30分の距離で、その中間地点に友達の家があったので、そこまで車で送ってもらいました。

 過保護にしないというのは、徹底した方針だったと思います。父はアウトドア派でしたから、全盲になったあとも富士山とか尾瀬に連れて行ってもらって、父のリュックサックにつかまって歩きました。訓練というよりも意識的に連れ出して、楽しみながら歩かされたという感じだったのでしょうね。家ではアイロン掛けも自分でやっていました。

初瀬 全盲の方の親御さんは皆過保護にしないことを徹底している方が多いですね、そこは共通点です。全盲になったらあぶないから表に出さないというのではなく、積極的に外に連れ出すから、自分なりにいろいろなことを感じるんだよ、という思いだったのかもしれませんね、お父さんは。

大胡田 僕の目が見えなくなっても親の態度は変わりませんでしたし、なんら取り乱すこともありませんでした。だからこそ、僕も自分の障害をすぐに受け入れられたように思います。

 とは言いましても、見えなくなったあとの学校では孤独感がありました。お昼休みの時間とか、みんなが外に遊びにいくときに自分は行けないですからね。

 そのうえ、見えなくなってしまった自分のことを周りの友達がどんなふうに見ているのか凄く気になっていました。可哀そうと思われているのか、それとも笑われているのか、とかいろいろなことを考えていました。そんな中でランドセルにつかまっていっしょに通った友達は、最後までやさしくて仲良しでした。

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「障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド」

著者

大元よしき(たいげん・よしき)

ライター

1962年東京生まれ。外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆中。著書に『あの負けがあってこそ』『命のバトン―自閉症児と個性派不登校児の教室』『1万回の体当たり―タックルマン石塚武生 炎のメッセージ』(以上ウェッジ)、『一緒に見上げた空』(扶桑社)。

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