障害と共に生きる~社会で活躍するチャレンジド

2016年3月26日

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初瀬勇輔さん

初瀬 それでも小学校卒業までは普通校にいらしたんですよね。

大胡田 6年生までは地元沼津の小学校に通っていました。僕は目が見えませんし、点字も読めませんから授業は耳で聞いて内容を理解しました。テストは先生に問題を読んでもらって答えていました。口頭試問という方法です。

友人のランドセルにつかまって通学

初瀬 見えなくなってからの通学は?

大胡田 親が友達の家まで車で送ってくれて、そこからは友達といっしょに学校に向かうのですが、僕は友達のランドセルにつかまって歩きました。家から学校までは歩いて30分の距離で、その中間地点に友達の家があったので、そこまで車で送ってもらいました。

 過保護にしないというのは、徹底した方針だったと思います。父はアウトドア派でしたから、全盲になったあとも富士山とか尾瀬に連れて行ってもらって、父のリュックサックにつかまって歩きました。訓練というよりも意識的に連れ出して、楽しみながら歩かされたという感じだったのでしょうね。家ではアイロン掛けも自分でやっていました。

初瀬 全盲の方の親御さんは皆過保護にしないことを徹底している方が多いですね、そこは共通点です。全盲になったらあぶないから表に出さないというのではなく、積極的に外に連れ出すから、自分なりにいろいろなことを感じるんだよ、という思いだったのかもしれませんね、お父さんは。

大胡田 僕の目が見えなくなっても親の態度は変わりませんでしたし、なんら取り乱すこともありませんでした。だからこそ、僕も自分の障害をすぐに受け入れられたように思います。

 とは言いましても、見えなくなったあとの学校では孤独感がありました。お昼休みの時間とか、みんなが外に遊びにいくときに自分は行けないですからね。

 そのうえ、見えなくなってしまった自分のことを周りの友達がどんなふうに見ているのか凄く気になっていました。可哀そうと思われているのか、それとも笑われているのか、とかいろいろなことを考えていました。そんな中でランドセルにつかまっていっしょに通った友達は、最後までやさしくて仲良しでした。

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