いま、なぜ武士道なのか

2009年11月27日

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酒に人の心も見える

 酒というものは人の気を大きくしてくれる。そこで不覚をとることがある。『葉隠』の時代にも、酒で失敗をした者が多かったに違いない。この項を読んでみると、痛いところをつかれたような気になる。

酒盛の様子はいかうあるべき事なり。心をつけて見るに、大方呑むばかりなり。酒といふ物は、打上り綺麗にしてこそ酒にてあれ。気が付かねばいやしく見ゆるなり。大かた人の心入れ、たけだけも見ゆるものなり。公界物なり。

 酒盛の仕方はきびしくしなければならない。気をつけてみると、たいていの者はただ飲むだけである。酒とは、切り上げがきれいにしてこそ酒である。ここに気がつかないと卑しくみえるものである。だいたい人の心がけは、そのまま表れる。酒の席はすべて公の場と考えればよい。

 年末年始になると、酒の席が多くなる。一年間の区切りとして、酒で祝い、感謝するということは、日本の長い習慣である。ところが、その席で失言をしたり、喧嘩をしたりする例は多い。

 日頃は本心をごまかし、きれいごとばかりで過ごしている者にとっては、積もり重なった精神的苦痛が、一度に爆発するということは多分にありうることである。つまり、ホンネとタテマエのギャップが大きすぎる者にとっては、酒の席は気をつけなければならない。油に火を近づけた状態になるからである。

 酒に飲まれるということは、一種の甘えでもある。酒にかこつけて、いいにくいことをいい、やりにくいことをやるということでしかない。それは自分の弱さを酒の力を借りて強くしようとするあがきである。あくまでも自己と対決して、自己を創造しようという厳しさからの逃避である。そういう人間に何を期待できるであろうか。酒で崩れる人間は、しょせん落ちこぼれていくしかない。しかし、そうならないために『葉隠』は親切に諭すのである。酒の席は公式の場と心得よ、である。

 ビジネスマンにとっても、酒は欠かすことができない。せっかくのチャンスであるから、生かして使いたいものである。
 

◆『いま、なぜ武士道なのか―現代に活かす「葉隠」100訓』

 

 

 

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