佐藤忠男の映画人国記

2009年12月2日

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 いま第一線で活躍中の監督には北九州出身の人が少くない。北九州市戸畑の出身の平山秀幸は11年前に「愛を乞うひと」で各種の映画賞を独占したが、当時はまだ児童虐待問題が一般に知られていなかったため、その一例を真向から誠実に描いた傑作だったのに一般にはよく理解されなかったようで残念だった。しかし練達の腕で「しゃべれども しゃべれども」(2007年)その他、良質のエンタテインメントもたくさん作っている。

 青山真治も北九州市。「EUREKA」(2000年)など心理的表現の可能性を追求する野心的な作品が多く、ヨーロッパなどの映画祭でその作品は引っぱりだこになっている。

 やはり北九州市出身でいちばんの若手はタナダユキか。「赤い文化住宅の初子」(2007年)、「百万円と苦虫女」(2008年)など、奔放な作風で突進している。

 福岡市出身ではいまいちばん脂がのっている中島哲也がいる。CMのディレクターから映画に進出し、CMで鍛えた平気で飛躍する映像の面白さで一家をなした。「嫌われ松子の一生」(2006年)では本当にあれよあれよとばかりにイメージが躍る。

 1970年代に日本映画が産業としてどん底になって、映画を志す若者たちが行き場を失って困っていたとき、その力を結集するようにして「狂い咲きサンダーロード」(1980年)や「爆裂都市」(1982年)というハチャメチャな力作を作ったのが学生映画出身の石井聰亙で、そのときこの作品に集った若者たちの多くがいま映画界の中堅になっている。その後の彼の作品では代表作は「逆噴射家族」(1984年)だろう。福岡市の出身である。

 川島透も福岡市出身。足を洗う決心をしてからどうしてもまたやくざにもどってゆく男の悲哀を描いた異色のやくざ映画「竜二」(1983年)が忘れ難い。

 俳優では天本英世(1926~2003年)が北九州市生まれである。名作「二十四の瞳」(1954年)で高峰秀子のお婿さんの連絡船の船長さんを演じていた頃は映画界きっての理知的なタイプだと思っていたのでのち「仮面ライダー」の死神博士などの怪優として子どもたちを怖がらせるようになるのには面喰ったものである。

 イッセー尾形は福岡市生まれ。一人芝居で名をあげたが、ソクーロフ監督の「太陽」(2006年)での昭和天皇は一世一代の名演と言っていい。

 やはり福岡市の生まれの田口浩正。「Shall weダンス?」(1996年)での気の弱いデブで社交ダンスを習っている青年が絶妙だ。

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