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2016年4月11日

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英国教会の最高指導者、カンタベリー大主教のジャスティン・ウェルビー師(60)は8日、自分の実の父親がウィンストン・チャーチル元首相の個人秘書だったことが分かったと明らかにした。マスコミ取材を機にDNA鑑定を受けるまで、育ての父が実父だと信じていたという。大主教の母親も、結婚直前に相手の男性と関係をもったことを認めた。

カンタベリー大主教は、自分の父親は1977年に亡くなったウィスキー販売業のギャビン・ウェルビーだと信じていたという。しかしDNA鑑定の結果、チャーチル首相の最後の個人秘書だった故サー・アンソニー・モンタギュー・ブラウンだったことが判明した。

母ジェインさん(レディ「エルベルのウィリアムズ」)は、1955年に結婚する直前にサー・アンソニーと「関係」をもったと認めた。当時の記憶はあいまいだが「お互いに大量のアルコールを摂取した後」元同僚のサー・アンソニーと関係した記憶があると話しており、「ほとんど信じられないほどのショック」だとコメントしている。

ブラシに残った髪の毛から

ウェルビー大主教が実の父親について初めて知ることになったのは、英紙デイリー・テレグラフの取材がきっかけ。同紙によると、大主教の家族の来歴を調べて取材を申し込んだ結果、ウェルビー師はDNA鑑定に同意したという。

同紙によると、大主教の口内から採取した細胞と、サー・アンソニーの妻が保存していたブラシに残っていた毛髪を使って鑑定したところ、99.9779%の確率で父と子だという結果が出た。

「悲しみはあるが」

特ダネとして記事を掲載したテレグラス紙のチャールズ・ムーア元編集長は、DNA鑑定結果を知った大主教は「とても、とても驚いていた」と話す。

「母親がギャビン・ウェルビーと結婚してからほぼちょうど9カ月後に生まれているので、まさかという感じだった。ハネムーン・ベイビーだと思うのが自然だった」

ムーア氏はBBCラジオに対して、レディ・ウィリアムズはギャビン・ウェルビーとアメリカに駆け落ちする数日前に、サー・アンソニーと関係をもったようだと話した。

大主教公邸(ランベス宮)は文書で、大主教のコメントを発表。大主教は、母親とギャビン・ウェルビーのアルコール依存症に言及し、「両親の依存症の結果、私の子供時代はごたごたしていた。とはいえ素晴らしい教育を受けたし、祖母にとても大事にされた。また依存症から回復しはじめた母親も大事にしてくれたし、父親(ギャビン・ウェルビー)もできる限り良くしてくれた」と振り返っている。

さらに大主教は「自分が何者か、それはイエス・キリストを通じて見つけるものです。遺伝によるものではない。そしてイエスを通じて見出す自分自身のアイデンティティーは、決して変わらない」とコメント。

「悲しみはあるし、父親(ギャビン・ウェルビー)の場合は悲劇でさえあります。けれどもこれは、混乱と苦しみと絶望に近い状態から、復活と希望を見出した人たちの物語です」

レディ・ウィリアムズは1958年にギャビン・ウェルビーと離婚。第2次チャーチル政権(1951-1955年)の間、首相秘書を務めた。

インターネットで発表した声明で、「当時のことはよく覚えていませんが、急に結婚することになりバタバタしていた当時、お互いに大量のアルコールを摂取した後、アンソニー・モンタギュー・ブラウンとベッドを共にしました」とレディ・ウィリアムズは認め、「(妊娠しないよう)注意はしたものの、うまくいかなかったようで、この関係の結果、私の素晴らしい息子を授かったわけです」とコメントしている。

レディ・ウィリアムズは1975年に再婚。1968年以来、飲酒していないと話す。またギャビン・ウェルビーと離婚後はたまにサー・アンソニーと会うことがあったが、「ジャスティンはどうしてると聞かれることはあっても、自分が父親かもしれないと思っているなどというそぶりは何もありませんでした」という。

ウェルビー大主教は一人っ子で、イートン校とケンブリッジ大学トリニティ・コレッジ出身。石油会社重役を11年間務めた後、1987年に数十万ポンド(数千万円)の年収を捨てて英国教会の牧師になるための訓練を受け始めた。1983年に当時7カ月の娘ジョアンナさんを自動車事故で失ったことが、転身のひとつのきっかけとされる。

2002年にコベントリー大聖堂の参事司祭となり、リバプール大聖堂大司祭、ダラム主教を経て、2013年2月からカンタベリー大主教。

「今も動揺していない」

テレグラフ紙のインタビューで大主教は、実父について真相が分かっても母親との関係に影響はないと述べている。自分の母は常に現実を「真正面から見据える」人で、自分自身も「まったく動揺していない。(略)今も動揺していない」と付け加えた。

先週から大主教と会話をしてきたノリッチ主教グレアム・ジェイムズ師はBBCラジオに対して、大主教はテレグラフ紙の主張を否定するためにDNA鑑定を受けたのだと話した。

「ところが正反対のことになり、イースターの直前に確実だと分かり、母親に連絡した。まず誰よりも先に母親のことを思いやったのです」

「(レディ・ウィリアムズは)サー・アンソニーとのことは承知していたが、ギャビン・ウェルビーがそうだったように、自分とギャビンがジャスティンの両親だと思い込んでいた」

カトリック教会のウェストミンスター大司教、ビンセント・ニコルズ枢機卿は、「この驚きの事実を知った」大主教と母親が示した「落ち着いたしっかりとした態度を心から尊敬する」と称えた。

「家族生活の混乱は珍しくないし、受け止めにくいものです。どんな家族でもそれは承知のことでしょう。けれども世間の注目を浴びながら、このように落ち着いて、かつ正直に対応するとは素晴らしいし、実におふたりらしい」

「おふたりのキリスト教徒としての信仰がいかに見事かという証です」

サー・アンソニー・モンタギュー・ブラウンとは?

・1932年5月生まれ。デイリー・テレグラフ紙の訃報記事によると、英国陸軍大佐の息子。

・バッキンガムシャーのストウ校からオックスフォード大学モードリン・コレッジに進学。

・英国空軍に入隊。第2次世界大戦中は中東とアジアで勤務。

・戦後は外務省勤務。第2次チャーチル政権中の1952年に、チャーチル氏の私設秘書に。

・1955年の首相辞任後も、1965年に元首相が亡くなるまで秘書を続けた。

・2013年に89歳で死去。

<分析>キャロイン・ワイアットBBC宗教担当編集委員

ジャスティン・ウェルビーはまるでディケンズ小説の主人公にふさわしい、波乱に満ちた人生を送ってきた。新しく章をめくるごとに、予想もしなかった展開が待ち受けている。英国教会の歴史の中で、これほど特異なカンタベリー大主教はほかにあまりいないかもしれない。

一見するとその自信と魅力は、いかにもイートン校の教育のたまものという輝き方だ。やがて石油会社の重役となり、世界中を飛び回った。しかしはた目にはうらやましいほどの特権的で恵まれた経歴かもしれないが、その子供時代には、両親のアルコール依存症が暗い影を落としていた。自分の父親だと思っていたギャビン・ウェルビーと母ジェインは、若いころにその病に苦しんでいたのだ。

それでもなお、大主教と母親が公表したコメントからも明らかなように、これは悲惨でみじめな物語ではなく、救済と再生の物語なのだ。母親がアルコール依存症を克服できたこと、そして自分が辛い子供時代を克服できたことは、家族と信仰のおかげだと、ジャスティン・ウェルビーと母親は感謝している。

(英語記事 Archbishop of Canterbury learns real father was Churchill's private secretary)

提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-36012246

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