あの負けがあってこそ

2016年4月16日

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キャプテンを中心に円陣組む常翔学園(春の全国選抜大会)

「これから先、どうなるんやろ」

 首から下の感覚がまったく無かったことが不安と恐怖をかき立てた。首は一番怪我をしてはならないところだと教わってきただけに、ただ事ではない事が起きていることだけはわかっていた。上田の病院に救急搬送された。が、その後、長野の赤十字病院に移された。

 「上田の病院にいる頃から痛みはじめて、長野に移送中の救急車の中では何か叫んでいたみたいです。意識が朦朧としていて寝そうになってしまうのですが、意識がないのか、寝ているのか、わからないという理由で『寝たらあかん、寝たらあかん』と声を掛けられていたことだけは覚えています。それ以外の記憶はありません」

 しばらくして病状が安定しICUから一般病棟に移ったが、痰が切れず呼吸困難に陥って再度ICUに戻された。その後、喉から酸素吸入器を差し込む手術を行った。一カ月後に大阪に戻り、そのあとは手術や治療でいくつか病院を転院した。

 「2013年の8月に怪我をして入院生活は1年ちょっとになりました。長かったですね。それを支えてくれた一番大きな要因はラグビー部の仲間でした。
練習のあとや、休みの日にもお見舞いに来てくれて『早くグラウンドに戻って来い。お前が戻ってくるのをみんな待ってるからな』って声を掛けてくれたんです。慰めの言葉じゃないんですよ。それが嬉しかった。

 その時はまだ動けなかったのですが、絶対にグラウンドに戻ってやるというのが僕の目標になりました。それがあってリハビリに励めたんです。仲間の言葉は頑張る活力になりました」

一つずつ壁を乗り越えたリハビリテーション

 「リハビリは呼吸器を外して自分で呼吸をするところからで、『やっと外せた』と思っても、頭を少し起しただけで血圧が下がってしまって意識が無くなってしまうんです。起立性低血圧というのだそうです。首から下が麻痺しているので座ることもできません。

 最初は大きな背もたれの付いた車椅子に乗ることから始めて、姿勢を起していられるようになったら、今度は普通の車椅子に座って体幹を保持する練習になりました。ですが、体幹も麻痺しているから身体がグラグラして座っていられないんです。車椅子を漕ぐ練習でも、最初はまったく進めませんでした。

 そういうステップを一つひとつ踏んでいくんですが、できることが増えていく過程で、できないことも見えてきました。『なんで、怪我したんだろう……』みたいな後悔はなかったのですが、体が動かないもどかしさを感じていました」

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