2024年4月17日(水)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2016年4月22日

 曖昧模糊としたプロパガンダ、見せ掛けの国会、骨抜きの報道、習の顔の襟章……みな過去の悪しき時代の匂いがプンプンする。しかし、人民大会堂の外の中国の現実社会の変容を消し去ることはできない。李首相の記者会見の場でも、中国人記者がネットで集めた1000万人の回答を基に質問することができた。また、代表たちも少なくとも現実社会の懸念は表明できる。他方、昔ながらの新聞検閲を行うのは簡単だが、これはネットで嘲りや怒りを引き起こし、それを抑えようとすれば、際限なきモグラ叩きゲームになる。

 要するに、全人代は表面上、平静かつ十年一日のごとく変らないが、現実の中国社会は胸が痛くなるような経済的、社会的変化に見舞われている。それが引き起こす不安、反対、さらには抗議を前に、習は、党の確実性の中に逃げ込みたいようだ。一貫性は強さだ。しかし、既に十分従順な国会や厳重な統制下にある報道機関をさらに締め付けようとするのは、一貫性よりも弱さの表れのように思える。

出典:‘This insubstantial pageant’(Economist, March 19-25, 2016)
http://www.economist.com/news/china/21695074-national-peoples-congress-neither-effective-parliament-nor-good-theatre

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変化した社会に対応できない共産党

 中国統治の基本は「党の指導」であり、それが「一党支配」の意味するところです。当然、党は憲法の上にあります。システムもそうなっています。全国人民代表大会であろうとネット空間であろうと「党の指導」は貫かれなければなりません。この「党の指導」をより効果的なものとするために、ある時は管理をゆるめ、ある時は締め付けるのです。

 最近の党による思想面やマスコミに対する締め付けは、確かにエコノミストが言うように「弱さの表れ」という側面はあります。そこには、大きく変化した社会に対応できていないことからくる不安もあります。同時に、習近平が8700万の党員を掌握できていないと感じていることからくる不安もあります。党中央、つまり習近平を「核心」としたり、絶対服従を要求したりしているのは、現実がそうなっていないからです。これは主に党内の問題であって、国民との関係ではありません。

 党の政策の実施や人事のための締め付けであり、来年の党大会までこの傾向が続く可能性は高いでしょう。しかし、個人崇拝と権力集中に向かう締め付けは、文化大革命を経験した中国社会と共産党にとり、今や「劇薬」であり、反感は容易に募り得ます。これからは、経済や外交での失敗が、簡単に習近平の命取りになり得ます。習近平がいつ軌道修正するか、まさに“要経過観察期間”に入ったと言えるでしょう。

  
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