2024年4月20日(土)

秋山真之に学ぶ名参謀への道

2009年12月12日

市村清の三愛主義

 いまさら愛国心でもあるまい。平成の参謀諸兄姉はそう思われるかもしれません。たしかに、先の大戦で惨敗した日本では、愛国心がすっかり廃れてしまいました。しかし、敗戦直後の昭和21年12月、45歳の経営者が宣言しました。

 「人を愛し、国を愛し、勤めを愛する。西郷隆盛は『敬天愛人』を説かれた。私はあえて『三愛』という。一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生じる。この三愛精神こそ唯一の救国の大道である」

 三愛リコー・グループの総帥となった市村清です。数々の新事業を成功させて「起業の神様」と謳われました。「人を愛し国を愛す」まではわかるとして、「勤めを愛す」とはどこからきた理念でしょうか。市村清は九州佐賀の出身です。佐賀には『葉隠四誓願』があります。

一、武士道において遅れ取り申すまじき事
一、主君の御用に立つべき事
一、親に孝行仕るべき事
一、大慈悲を起こして人の為になるべき事

 この「大慈悲」が「人を愛す」、「人の為になるべき事」が「勤め」となったのでしょう。市村にとって「勤め」とは「起業」です。自らが起こした企業への愛、これが市村の愛の対象でした。

 理化学研究所の大河内正敏に認められ、日本文具を皮切りに、理研感光紙、満州理研工学、三愛商事、三愛石油、三愛精工、日米飲料、日本リース、三愛運輸、佐賀放送などなど、その一生を起業にささげ尽しました。

「上下過不足ナキヲ」 

 秋山真之自身は愛国心をどう考えていたのでしょうか。

一身一家一郷ヲ愛スルモノハ悟道足ラズ。世界宇宙ヲ愛スルモノハ悟道過ギタリ。軍人ハ満腔ノ愛情ヲ君国ニ捧ゲ、上下過不足ナキヲ要ス。(天剣漫録6)  

 なぜ、秋山真之は満腔の愛情の対象に「君国」を選んだのか。 

 19世紀は「民族国家」(Nation State)の時代でした。まず、カソリック教会の権威に挑んだルターなどプロテステスタントの宗教改革で、信仰の自由が確立されます。

 つぎに、絶対君主の権力を打倒した政治革命で、民族国家が誕生しました。「Natio」は「生まれ」を意味します。共通の言語文化が国家の基礎となりました。イギリスのロックやフランスのルソーが説いた国民主権の思想が国家の枠組みとなります。


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