したたか者の流儀

2016年5月10日

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パスカル・ヤン (Pascal Yan)

著述家

著述家。ルーヴァン・カトリック大学大学院中退(ベルギー)。証券マンとして25年間、欧州を中心に海外で過ごす。現在の職業は都内大学教授。

 

 唐突だが、ローマのバチカンに行ったことがあるだろうか。巨匠ミケランジェロデザインの軍服をまとったバチカン衛兵の写真くらいは見たことがあるだろう。彼らはスイス人だそうだ。スイス人の傭兵ということになる。

 古来、スイスには耕す土地もなく、新教徒がフランスから逃げ込むまで時計産業もなかった。男は成人になると諸国に傭兵として出稼ぎに出ることが多かったようだ。

 一旦戦争になれば、土地の貴族とスイス人傭兵が戦列を組むことになる。貴族は、騎士として馬に乗り、多くは後方に控えているが、兵は、白兵戦をやらねばならない。

スイス人傭兵(iStock)

スイス人傭兵から始まったプライベートバンク

 スイス人傭兵は、国に残した妻や子に給金を送金することになるが、当時のこと、いささか不便であった。運送業者が証文を発行するなどのシステムはあったようで、その運送業者などのスイス側の受け手が金を預かり、自然に銀行業が発生した。

 これが本物のスイス・プライベートバンクだ。一時は数十あったが、今は十数行のみとなっている。

 戦乱が起きると、ファイトマネーも上がり、入金も増えることになる。また、革命がおきれば、貴族階級がスイス・プライベートバンクに金を持ち込むのだ。

 現在の大手どころは、各国の革命のたびに業容を拡大している。

 しかし、あるとき、守るも攻めるもスイス人だということに気が付き、また、時計などの産業も生まれ、一方、美しい国土は産業革命で豊かになった英国人らの観光地となることも学び、傭兵業は激減。今ではバチカンに残るのみとなったのだ。

 その間、スイス人は傭兵として、たくさん血を流し、そのおかげで平和があるのだとし、スイスの国旗は血の海に浮かぶ白い十字架となったともいわれている。

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