ACADEMIC ANIMAL 知的探求者たち

2009年12月18日

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大学生当時を思い出して座禅をしていただきました。

 法輪寺では小僧と同じ扱いで。朝5時におきて、廊下に雑巾がけして、庭の掃除をして、本堂にいってお経を読んで、食事して、学校に行く。夕方も掃除して、ご飯食って、一時間ばかり座禅して寝る、という毎日だった。

●突然そんな生活になって、いやじゃなかったですか?

――そういう生活はけっこう新鮮だった。自由時間はけっこうあったし、酒もあいかわらず飲んでいたから、全然苦ではなかったな。それよりも、大学というものが、予想通り全然つまらなかった。だんだん学校に行かなくなって、寺に長いこといるようになった。寺で本を読んですごすようになった。

 本堂脇の自分の部屋で、誰もおらんようなふりをして、息をひそめて、本を読んでいると、和尚が話しかけてくるんだ。庭で草むしりをやりながら、「だれやらくん、おるかい」と言って。「はい、おりません」とは言えないから、しょうがなく手伝わされるんだが、そんなときに和尚が話してくれた言葉をよく覚えているよ。

 寺に入ったころ、「禅とは、キニノゾンデハユズラズだ」と言われた。耳で聞いてもなんのこっちゃわからなかったけど、食後に「来たまえ」と言われて書院の床の間に行くと、そこに竹蓖(しっぺい)が置いてある。それに漢文で「臨機不譲師」と書いてある。機に臨んでは師に譲らず。ここぞというチャンスが到来したら、師匠が持っている竹蓖を奪って師匠を叩いてもいいんだ、という意味だということだった。そういう言葉が、竹蓖に刻んであった。

 どうかな、最近はこういうことを18歳そこそこの若僧に言う和尚はあまりいないんじゃないか。すごいな、と気づいたのはつい最近で、当時は「はあ?」という感じだったがな。たぶん和尚は、わしに出家して坊主になってほしかったんだろう。どうせ大学には行ってなかったわけだし。

法輪寺の現在の和尚さんと談笑する芳澤氏

 寺には、売れない絵描きとか、旅の尼さんとか、いろいろな人がいたんだが、中でも印象的だったのは、わしより20歳上の、精神科の病院から出てきたばかりの人。寝ていたら、丑三つ時に何やら気配を感じて起きたんだ。すると、その人が枕元にいて「私はとうとう石になってしまった」とつぶやいていた。しかたがないから、起きて一晩いろんな話をするんだ。この人は、実はたいへん有名な方だったんだが、当時、心を病んでいたんだ。けれども、この人からいろいろ教えてもらったこともたくさんある。

 法輪寺で4年間過ごした大学時代は、暗い青春だった。別に目的なく手当たり次第に本ばかり読んでいた。哲学も文学も、西洋も東洋も問わず。いまから思えば、それは栄養になっていると思うよ。

●大学ではおもしろい教科とかなかったんですか? 

――ないね。授業にはほとんど出なかったけど、単位は取れて、4年になって。しょうがないから大学の就職部に行ったら、いままで何やってたんだ、と叱られて。大学の推薦なしにフリーでも受けられるところってことで、マスコミを2つ受けた。一つは広告代理店で、一つは放送局。毎日放送(MBS)だね。試験に5回ぐらい行ったな。

 そしたら、精神科の病院を出たさっきの先輩が就職の心配をして、相談にのってくれた。「毎日放送? じゃあ、まかせて。高橋くんに電話するから」と言われた。「それはどうか、やめてください」と断った。高橋って誰かと思ったら、あとで分ったんだけれど、そのときの毎日放送の社長だった。わしはそのとき、じつはその先輩を信用してなかったんだね。結局、毎日放送は落ちた。

 それで、もう一つ受けた広告代理店に入った。そこでは、ラジオ・テレビ欄の担当をやった。放送局をまわって時間を買うという営業。どうもつまらないことに思えて、結局、2年ほどで辞めた。でも、わしが辞めてから会社自体は伸びたんだ。

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