2024年4月24日(水)

教育の原点を考える

2016年6月20日

池上眞平さん

『はじめ塾と咸宜園からの私の学び』
池上眞平

 25年以上前に息子と娘がはじめ塾にお世話になったのが、小生にとってのはじめ塾との出会いでした。お蔭さまで息子と娘の成長は目覚ましく、塾を巣立つ時には家内と「二人はとてもたくましくなり、我々を越え始めたね」と話し、とても幸せな気持ちになったのを覚えています。子供達が、我々ができなかったことを実現してくれることや、我々より”人”として成長してくれることは最高に嬉しいことなので、親にとっては「親を越える」に勝る恩返しはないと思います。

 当時のはじめ塾に対する私の第一印象は「安心して自然体に戻れる場」と「雑木林を連想させる多様な人達で構成される場」でした。息子と娘はこのような場で主体的に学びかつ気付きを得ることにより成長できたのだと思いました。

 同時に私自身も、多様な人達が関わっているはじめ塾で”人との出会い”の価値と喜びを実感できたこと、”人を見抜く勘”を磨けたということは、大きな収穫でした。私の仕事においては「人との出会い」が様々な困難の克服に繋がりました。彼等と一緒に困難に挑戦することにより、”出会い”から”繋がり”に変化する、すなわち持続する人脈となるケースも出てきました。はじめ塾との出会いで、私は本格的に「人が好き」な人間になったようです。旅先などで出会った人達と会話を楽しむことも増えました。

 「仕事人」から「自由人」になった時には、私の経験や人脈を活かし、子供と若者を対象とする”ささやかな社会への恩返し”をしようと心に決めていました。

はじめ塾と咸宜園

 約6年前に私が会社をリタイアした時、叔父が「我々の祖先の一人である池上秦川が江戸時代末期の頃に都講として働いていた私塾の咸宜園」を是非一度訪問するよう勧めてくれました。また、NPOハート・アートリンク代表の田野智子さんを含むメンバーの方々、総社市の市会議員の村木理英さんや隠岐の西ノ島の焼火神社の神主の松浦道仁さんと出会ったことにより、私の咸宜園に対する関心は強くなりました。

 咸宜園教育研究センターに出掛けた時に、“身分や貧富に関係なく志を持った人達を受け入れた”ということや、”塾生が台所仕事を含む家事を分担し、かつ同じ釜の飯を食べる”ことを重視したことなど、はじめ塾と咸宜園に共通点があることを発見して驚きました。


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