足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年6月4日

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足立倫行 (あだち・のりゆき)

ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『血脈の日本古代史』(ベスト新書)『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

 特養(特別養護老人ホーム)に入所している母をほぼ2週間ごとに訪れ、昼食に連れ出す。和食が好きなので、和食レストランや回転寿司、丼物の老舗などに車で行く。

 車内での会話はいつも大体同じだ。

 「今、オフクロはいくつなの?」

 「……84かな」

iStock

 本人の中ではそこで止まっているようだが、実際は満90歳である。

 妻が車を運転し、私がしない(若い頃に2、3度運転中に死に損なったためにしない)ことを揶揄するのも毎度のパターン。

 「奥さんが運転してくれて、お前は楽チンだねぇ、何もせんでエエが」

 この台詞を数分おきに繰り返す。

 昨年10月から特養に本入所となった。私たち夫婦はホッとした。というのも、特養に入ってからというもの、それまで激しかった母の不安定な感情がすっかり影を潜めたからである。

 昨年の冬から春にかけてはひどかった。当時は隣り合わせの家に別々に住んでいたのだが、夕方でも夜中でも明け方でも、頻繁に我が家にやってきては、「誰かきたけど玄関に出ても誰もいない」「家の中に誰かいる」「変な物音が聞こえる」などと訴えた。

 家に行ってみると、玄関や勝手口に椅子や空箱が山積みにしてあった。その頃は2階に弟が同居していたにも拘わらず、暗くなると不安が昂じ、妄想に抗しきれないのだ。

 母の認知症は、約5年前に父が他界(86歳)した頃から急に進んだように思う。

 それまでも物忘れや鍋を焦がすなどがあったが、父の死後は日常の意欲が減退し、掃除、炊事などの家事全般が難しくなった。

 医師の診断では加齢による血管性認知症で要介護1。家事は介護保険でホームヘルプサービスを受けることになり、食事は宅配の利用と我が家からの差し入れで賄った。

 それから、近くの施設でのデイサービス、別の施設でのショートステイへと変わり、介護度も1から2、2から3へと進行した。

 そして要介護3の時に、たまたま運よく新しくできた特養に入所できたのである。

 この日も、居住スペースで面会した時の母は上機嫌だった。お婆さん女子会とでもいうのか、仲良し3人でテーブルを囲んでいた。

 白髪の小柄な女性がハーモニカを吹き、母ともう一人が歌を歌っていた。『春の小川』『月の沙漠』『鯉のぼり』……。

 母は身振り手振りで和していた。1年前の妄想、幻聴騒ぎなど嘘だったように、声にも表情にも華やぎがある。

 私と妻は顔を見合わせ、頷き合った。

 母は戸締りなどの脅迫観念から解放され、穏やかな精神状態を取り戻した。

 けれど、もちろん、昔通りの母ではない。昨日、今日の約束など新しいことは全く覚えられず、古い記憶にしてもマダラなもので、欠落箇所が多くとても偏っている。

 「終末」に向かってソフトランディングしつつあることがはっきりと分かるのだ。

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