2024年4月25日(木)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2016年6月10日

 「横浜の最後の数年は、正直辛かった。生え抜きの代表選手として、見本であり、完璧である必要があった。ポジションを譲れない意地もあった。でも、広島には前田がいた」

 前田智徳。広島一筋の男が、石井が持っていたプライドや意地を溶かしていった。

 「若くていい選手もたくさんいる。道は前田が示してくれる。ならば俺は鑑(かがみ)になろうと思った」

 外様としての立場を受け入れ、謙虚さを手にして、石井は違う色の花を広島で咲かせた。広島で4年間プレーし、12年にユニフォームを脱いだ。

 「自分の無力さを突き付けられる日々だよ」

 そう言って笑う石井の目尻には、すでに貫禄が刻まれている。広島で専任のコーチとなって、4年目を迎える。

 「試合が始まれば、自分ではどうにもできない。『やるのは選手だから』って、よく日本一になったときの監督だった権藤さんが言ってたけど、その領域には、まだ程遠いかな」

 「もがく」。石井はよくこの言葉を口にする。「ベテランはさ、簡単に辞めるということを口にしてはいけない。長く試合に出続けてきたってことは、すごいことなんだ。ベテランならではの意地や執着心は、そこまでいったことのある人間にしかわからない。だから、もがいてほしい」

 思いがあるからもがく。情熱があるからしがみつく。それは決して、みっともないことではない。

 「もっとうまくなりたい。最後の最後まで、それしかなかったよ」

 正解は、ない。答えは自分で決めることができる。
 

  
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