あの負けがあってこそ

2016年6月17日

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水府学院「タグラグビー交流マッチ」に参加した廣瀬さん

 インタビューの冒頭に本稿の主旨を説明すると以下のように返ってきた。

 「最大の負けですか? 僕は負けたと思ったことがないんです。試合に負けても、それを次に生かせればいいし、成長につなげれば負けではないですよね、僕はそういう捉え方をしています」

 そのポジティブな答えに、「あの負け……」筆者は難攻不落のお城を見上げているような思いがした。

人生の岐路で出合った素晴らしいチーム

 廣瀬俊朗(ひろせ としあき)1981年大阪市生まれ。

 廣瀬とラグビーの出合いは5歳のときである。両親の勧めがきっかけだった。大阪はラグビーが盛んな地域なので、いくつかのラグビースクールを見学して、廣瀬自ら吹田ラグビースクールを選んだ。

 中学進学後も吹田ラグビースクールに在籍する傍ら、中学校の部活としてラグビー部にも所属していた。そして平日は学校の部活動、土日はラグビースクールに通うというラグビー漬けの生活を送った。

 中学ではキャプテンを務め、大阪選抜チームにも選出された。高校は大阪では最難関と言われる大阪府立北野高校に進学。3年時には大阪選抜、さらに高校日本代表にも選出されキャプテンに指名された。

 高校卒業後はラグビーのルーツ校である慶應義塾大学に進学し、4年時にはキャプテンを務めている。

 大学4年生までの経歴を軽くご紹介した程度でも、文武両道に秀でたアスリートであることが伝わるはずだ。ただ、才気走った天才肌のリーダーではない。

 「僕は強烈なリーダーシップでぐいぐい引っ張っていくタイプではないんです。逆にそっちは苦手かなと思っています(笑)。その時々で、もがいたり苦しんだりしながら活路を見出してきたのですが、基本的にはみんなで知恵を出し合って良いチームを作っていこうと考えてきました。その考えは今でも変わっていません」と廣瀬は等身大の自分を語っている。

 大学卒業後はラグビーから少し離れ大学院に進学しようか、それとも社会人の強豪東芝に就職しようかと人生の岐路に立たされていた時に転機が訪れた。

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