あの負けがあってこそ

2016年6月17日

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数々の栄光の歴史の前で

世界への挑戦 日本代表キャプテンに就任

 12年4月。廣瀬は日本代表に召集され、ラグビー界では名将として世界に名を馳せたエディー・ジョーンズ日本代表ヘッドコーチからキャプテン就任を要請された。

 その当時、廣瀬の日本代表キャップは「1」で、日本代表歴としてはけっして豊富とは言えなかったが、東芝を率いたキャプテンシーは世界的名将の眼鏡にかなうものだった。

 「きっとエディーさんは、僕の本質を見て日本代表の根幹を作ってくれるリーダーだと思ってくれたのだと思います。ですが、事前に『廣瀬のここが良くてキャプテンに選んだ』みたいなことを言われたことはありません。すべてが終わってから『チームの根幹を作ってくれた』と言ってくれました。

 エディーさんから最初にキャプテンを要請されたときは嬉しかったですよ。日本で最高のチームのキャプテンですからね。もちろんスタートする前はプレッシャーもありましたが、当時は自分なりにキャプテン像が確立されていましたので、とにかく嬉しくて久しぶりにワクワクしました」

 以後、廣瀬は日本代表のキャプテンを務め、世界一のハードワークと言われた日本代表を支え、けん引し、勝つ文化を築いていった。

 その間、アジア5カ国対抗戦を制し、IRBパシフィックネーションズでは環太平洋のフィジカルの強い国々と戦い、ヨーロッパ遠征も行われた。またウエールズを秩父宮ラグビー場に迎え撃ち、見事撃破して日本代表の進化を示している。

 「文化を築くというのは、良いものを積み重ねることだと思います。それは、状況に応じて常に変わり続けることでもあります。もしも『これでよし』などと思ってしまったら、チームはそこで停滞してしまいますからね。変わり続けること、その積み重ねが大切です」

 キャプテン就任から2年後、エディー・ジョーンズの決断により廣瀬はリーチ・マイケルにキャプテンの座を譲った。巨歩の歩みを見せた日本代表キャプテンの2年間が終わった。チームに徹してきただけにショックは大きかった。
以後、キャプテンのサポート役として、また誰もが認める日本代表の支柱として、フィールドの内外に心を配りチームに貢献できるよう全力を尽くした。

 そして、15年9月。ラグビー母国イングランドで行われたワールドカップにおいて、世界ランク3位の南アフリカをはじめ、サモアとアメリカに勝利して3勝1敗で大会を終えた。決勝トーナメント進出はならなかったものの、日本代表の魅力が世界に伝わり、19年ラグビーワールドカップ日本開催へ向けたメッセージとなったはずだ。

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