2024年4月26日(金)

BIG DEAL

2016年6月23日

Chocolate Croissant

 忘れられないエピソードがある。休憩時間に近くのカフェでコーヒーとチョコレートクロワッサンを注文した時の事だ。Chocolate Croissantは発音記号で書くと【tʃάk(ə)lət krwɑːsάːŋ】。敢えてカタカナで書けば、チャッコレート クロワソーン という感じか。日本人の苦手なLとRの発音が混じっている。これを一生懸命喋るが通じない。レジのおばさんは困惑し、私の後ろの人からは早くしろと急かされ、隣のレジに並んでいたおばあちゃんまで巻き込んでようやく買うことができた。顔から火が出る経験であった。

 英語上達のきっかけは、私も相応の年次になってM&Aの交渉の場に、上席なしで一人で臨むようになってからである。いまから15年ほど前であろうか。当時日本企業にとってM&Aは10年に一度の社史を飾る大イベントで、クライアント企業における担当者の責任とプレッシャーは相当なものであった。したがって、英語が原因でクライアントを不利な状況に置いてしまうなんて言語道断であり、私にとっても非常に気の張る仕事であった。

 やっかいなのは、どんなに場数を踏んでも交渉のたびに知らない単語や表現が出てくることである。1、2度であれば相手に聞くことはできるが、回数が増えると相手にバカにされるし、クライアントからの信用も失う。無論その場でこっそり辞書を引く訳にはいかない。そこで私が活用したのは、自分の知っている単語で相手の言っていることをRephrase(言い換え)したことだ。

 ニュアンスが違えば相手は違うと言ってくるし、正しければ自分の選んだ言葉の上で論を展開できる。これは非常に有効なトレーニングであった。今でも会議を仕切ることは得意であるが、そのスキルはこのような経験によって身に着けたのだ。M&Aの交渉は生死に関わることはないが、極度の緊張感の中で英語を使うことを強いられる。そのような環境下で仕事をすることで、チョコレートクロワッサンやシャープペンシルの回りをうろうろしていた私でも英語の習得ができたのである。英語で夢を見ることができればその力は本物と言われるが、私はよく英語で喋っている自分の夢を見る。その多くはM&A交渉の夢であり、決して楽しいものではないが……。

 しかし思うに、できればプレッシャーも苦悩もなく、楽しく英語を身に付けたいものである。それに最適な方法がひとつある。英語を話す恋人を見つけることだ。互いの生い立ちや人生観・宗教観を語り、政治・経済を論じ、キャリアや夢をともに育み、一緒に料理をして食べ、スポーツをし一緒に眠る。時には嫉妬をして喧嘩もし、そして仲直りをする。ワイフのいる私には叶わぬことだが、異なる言語のパートナーと生活を共にすることは、あなたの人間力を間違いなく大きくする。

 ただ既婚者である私も、夢の中ではそんな生活は自由に送れるはずだ。M&Aの交渉ではなく、ハリウッドセレブとの楽しい生活の夢をみるようにと願いながら、今日もいそいそとベッドに入るのである。

  
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