2024年4月25日(木)

対談

2016年6月23日

左藤:たとえば伊万里でいえば、16世紀末の朝鮮出兵に佐賀藩が参加して、朝鮮半島から陶工が連れてこられたり、亡命したりしてきた。その年代から、1610年代から1630年代頃にかけて「初期伊万里」と呼ばれる磁器が作られるまで、10年ちょっとしかないんです。伝統が10年でできるはずもなくて、朝鮮の技術と有田あたりにもともとあった技術が混ざって、工夫や研究を重ねてできた、という道筋で解釈するのが当然なんです。則るべき伝統なんかなかったことなんて、ちょっと勉強すればわかることです。

 でも、有機農業でもそうだと思いますけど、主流派に対するアンチやカウンターはいつの時代も必ず出てきて、それが進歩の推進力になるのだとも思います。勢いのある流れが出てくるはずだと思っています。

久松:なるほど。反面、僕にはひねくれた不満もあって、思想に一度もかぶれた経験がない人の言葉も、それはそれで物足りないんですよ(笑)。たんなる自分のわがままなんですけど、若い時にあっちにかぶれこっちにかぶれでやってきたことが自己批評性を生んでいて、商売を成り立たせる技になっている。それは僕にはけっこう重要なポイントかもしれない。

 ところで、作家の看板としての「民藝」は、どれくらい「効く」ものなんですか?

左藤:プロフィールに「民藝作家◯◯の薫陶を受け」といった文言はときどき目にしますから、キャッチコピーにはなるんでしょうね。民藝の品自体は古美術品としては数が大量にあるので、価格は高くないんです。現代の民藝作家としては量産するか、技術的な付加価値を与えるかのどちらかではないかなと思います。実は、あまり詳しくは知らないのですが。

 僕は民藝としてガラスをやっていませんし、クラフトブームと呼ばれるシーンでは傍流にいると思っています。そもそもガラスそのものが、焼き物に比べれば傍流です。

久松:同業者の評価は気になりますか?

左藤:丹波にいた頃は気になっていたんですけど、今はそうでもないですね。お金のことを考えればもっと気にしたほうがいいんでしょうけど、お金のことは先送りしていますね。来年はもっと頑張ろうと毎年言っています(笑)。


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