佐藤忠男の映画人国記

2010年1月2日

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 先年私はベルリン映画祭から、1960年代のいわゆるヌーベルバーグ以前にヌーベルバーグ的な試みをしていた映画を推薦してほしいと頼まれて、1936年の清水宏監督(1903〜1966年)の「有りがたうさん」を推したことがあった。下田から三島へのバスの中の出来事をオールロケで撮った傑作である。さいわい好評で、以後世界各地で清水宏の旧作の回顧上映がしばしば行われている。清水宏は即興演出や素人俳優の起用を当時から試み、詩情豊かな映画を作った天才的な監督である。静岡県の天龍川沿いの山村の出身だという。

 おなじく風物詩的、抒情的な名作を数多く作った監督に,浜松の漬物屋の息子だった木下惠介(1912〜1998年)がいる。戦後の苦しい時代に、黒澤明と並び称せられた巨匠だが、黒澤明が戦争には負けても侍のような精神的な強さを忘れるな、という勇気りんりんの映画を作ったのに対し、木下惠介はもっぱら、敗戦国の弱い者同士、助け合ってゆこうという心やさしい映画を作った。その両方が互いに補い合って戦後の日本人を支えたと思う。

 東映の任侠映画「緋牡丹博徒」シリーズ第1作や「トラック野郎」など、スターを恰好よく見せるエンターテインメントの名手だった鈴木則文監督は静岡県出身。その東映を、任侠路線が終わったあとにちょっと格調高い娯楽性で支えた澤井信一郎監督は浜松市出身である。代表作に「Wの悲劇」(1984年)「わが愛の譜 滝廉太郎物語」(1993年)などがある。

 沼津市出身の原田眞人監督は撮影所に属さないインディペンデントの映画作りで新しい道を切り開いた人たちの先駆けだった。近作の「クライマーズ・ハイ」(2008年)で大いに気を吐いた。

 三島市出身の渡辺邦男監督(1899〜1981年)は早撮りで有名な大衆娯楽映画専門の人で、大手の撮影所で仕事をした監督としてはたぶん日本でいちばん多くの映画を作った人だろう。それでいて必ずしも安上がりの作品を作っていたわけではなく、大ヒットした大作に「明治天皇と日露大戦争」(1957年)がある。

 木下惠介の「衝動殺人 息子よ」(1979年)や「父よ母よ!」(1980年)に出演している加藤剛は御前崎市の出身。木下惠介は清潔で生まじめなタイプの俳優をことのほか好んだ監督であり、加藤剛はそれにぴったりの俳優である。

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