したたか者の流儀

2016年7月1日

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パスカル・ヤン (Pascal Yan)

著述家

著述家。ルーヴァン・カトリック大学大学院中退(ベルギー)。証券マンとして25年間、欧州を中心に海外で過ごす。現在の職業は都内大学教授。

 

 今年の断食月は今が最中で7月初めに終わる。ラマダン(断食月)を中東で6回も経験しているが、当時は冬場だったので厳しさは少なかったかもしれない。イスラム暦は太陰暦で11日ずつ移動してゆくことになる。30年ほどで元に戻る勘定だ。日本でも、聞き及んでいるがなじみがないので、一言。

 1カ月間、食を絶つのではなく、太陽の出ている間だけだ。断食道場では、水はOKかもしれないが、本場では水も禁止。つばを飲むのもダメとされる。しかし、一旦日没になると、飲めや歌えの大騒ぎで、ラマダン期間中の食物の消費量は逆に急拡大する。

 そろそろだというころ緊張が走る。各国の天文担当の長老や、担当官が月を観測して、消えた、出た、との判断で、ラマダン突入宣言がなされる。国によってすこしずれることもある。確認が取れない場合は、翌日となるからだ。会社は開くが開店休業となる。半月もたつと、朝までの宴会疲れで、全員が朦朧として日の出を迎える。

 なぜそんなことが始まったのかは、モハメッドに聞いてほしい。1400年もまえのことだが、戯れ事というに当たらない。時空間を割り引けば、素晴らしい議論もたくさんある。断食も理由があるのだと思う。

美しいレバノン

レバノン・ベッカー高原(iStocK)

 1カ月間仕事にならないので、中東ながらキリスト教徒のいるレバノンに行ったことがある。十年以上続いた内戦で、街は破壊されたが、厭戦感と復興意欲が出てきていたころだった。ベイルート株式市場に、国家プロジェクトが公開され少しずつ動きが出てきたところだ。日本で言えば昭和の25年といったところだろう。

 レバノンは、有名なフェニキア商人の国で、キリスト教徒とイスラム教徒が、上手に手を取りあって国の舵取りをする国だった。ロンドンがまだ寒村だった時代に、すでに首都ベイルートでは、夕刻にはガス灯が点灯されたそうだ。今話題のシリア人とともに、商取引をさせたら右に出る者はいないといわれ、彼らをジャポニカの商社マンたちはレバ・シリ商人と呼んで、畏敬の念を持っている。シリアのアレッポの商家では、三桁のかけ算は、暗算でなされるといわれる。

 地中海をのぞみ、美男美女、酒も自由に飲める。ラマダンも関係ないキリスト教徒が多数住まい、水上スキーを楽しんだその日に、標高2000メートルにあるアルペンスキー場にもゆける国だ。海岸では、有名なフェニキアホテルのプールではビキニ、モノキニで甲羅干しをしながら、ドンペリニョンをたのしむ女性もいた。1980年までだが。そのころ暗黒時代の序章は既に始まっていた。

 中東の楽天地レバノンでは、主流のマロン派キリスト教徒が人口減少し、イスラム穏健派が勢力を増していたのだ。民主主義が建前のレバノンで自派の人口が減ると、均衡が破れることになる。要職を上手に分担していたが、それもかなわなくなるリスクだ。

 キリスト教徒は、イスラム教の比較的多産で貧しい少数派を取り込み、均衡を保つ手段に出たのが命取りとなったのだろう。1980年までは、余裕があった。爆弾テロも、場所が限られており高級地区は相変わらずビキニとドンペリが続いていた。地区を移動すると狙撃されることがあったが、交通事故にあったようなものだったそうだ。その後は、ご記憶の通りだ。

 キリスト教徒の少子化が遠因と思うが、時代の流れかもしれない。千年単位で生き延びてきたのに、キリスト教グループが、多数派工作に利用したつもりのイスラム教徒にくっついてPLOのアラファトが登場してしまった。そこに米国海兵隊、フランス部隊が参戦、複雑骨折となり、誰にも収拾が付かない状態になってしまったのもご記憶の通りだ。

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