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2016年8月4日

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クリストファー・ハーディング

私は南日本のある精神科医院で長椅子に腰かけ、「とおりすがり」という作者が書いた漫画のページをめくっていた。

作者本人も私の隣に座り、小声でストーリーを説明していく。足元の大地が砕け落ち、主人公が転落し始める場面で、私たちは手を止めた。

主人公の「私」はこう叫ぶ。「私を支えていた世界が崩れ落ちていく!立っていることもできない!」。

それは10年以上前の作者自身の姿だ。公務員の仕事で無謀な長時間労働を強いられ、睡眠を取れないことも多かった。ある日、ひとつの考えだけが頭の中をぐるぐる回っていることに気付いた。「死ななければ」と。

何が起きているのか自分でもわからなかった。周囲に分かってもらえないために、恐怖感はますます募る。自殺を図ったことを両親には隠し、病院で心臓の検査を受けたが異常はなかった。

あれは29歳の頃。ふと気づけば、外出しようとする母親に、置いていかないでとすがりついていた。自分が恥ずかしくなった。

父親は、ただ関心を集めたいだけだろうと言い張った。親友も同じこと言い、体を動かすよう勧めてきた。

自分の日常の全てが崩れ落ちていくような感覚だった。世界が見知らぬ場所になっていく。人間関係も自分を裏切る。

そしてついに、別の医師から診断が下った。うつ病。聞いたこともない病名だった。

これは別に珍しいことではない。日本では1990年代後半まで、精神医学界以外で「うつ病」という言葉を耳にすることはほとんどなかった。それはなぜか。日本にはうつ病にかかる人がいなかっただけだという説もあった。人はそういう気持ちと折り合いをつけて、なんとか日常生活を送り続けたのだと。そして気持ちが落ち込んだら美術作品や映画を通じて、あるいは桜の花とそのはかない美しさを愛でるなどして、美学的な表現に昇華してきたのだと。

しかし、うつ病がそれまで周知されていなかった原因は、日本の医学界の慣習にあるという説明の方が有力だ。欧米ではうつ病を心身両面の疾患ととらえる見方が一般的なのに対し、日本では主に身体的なものとみられていた。うつ病という診断名自体はめったに使われず、典型的なうつ症状に苦しむ患者たちは医師から「静養が必要なだけ」とだけ言われることが多かった。

こうした諸々の事情から、日本は抗うつ剤の市場として見込みがないと考えられていた。代表的な抗うつ剤「プロザック」のメーカーも、日本にはほぼ見切りをつけていたほどだ。ところが20世紀も終わる頃、日本の製薬会社が展開した驚くべきキャンペーンによって状況は一変する。

うつ病は「心の風邪」だとするキャッチコピーが広まった。だれでもかかる可能性があり、薬で治療できるという意味だ。

当然ながら、日本でうつ病を含む気分障害と診断される患者の数はたった4年間で倍増。抗うつ剤の市場は06年までのわずか8年間で6倍の規模に急成長した。

ほかの国と同じように日本でも、有名人の告白は注目を集める。俳優からアナウンサーまで、あらゆる人々が進んでうつ状態の経験を明かすようになった。この目新しい病気は世間に認められただけでなく、ややおしゃれだという雰囲気さえかすかに漂わせていた。

うつ病は法廷でも取り上げられるようになった。日本最大の広告代理店、電通の社員だった大嶋一郎さんが何カ月も続いたひどい長時間労働の果てに自殺した時、遺族は電通を相手取って訴訟を起こしたのだ。

その後の法廷での争いは大きな注目を集めた。遺族側の弁護団は裁判で2つの点を立証してみせた。うつ病は電通側が主張しようとしたような先天的要因だけの問題でなく、過重労働などの環境が原因になり得ること。そして、自殺を自覚的で理性的な行為とみなし、時には立派な行為とさえ捉える旧態依然の風潮は、妥当でないということだ。

日本の指導者たちに衝撃が走った。家庭内の秘め事だった精神疾患が、労働運動のテーマに掲げられるようになった。特に、働く女性は「笑顔を無料で提供」するのが当たり前とされてきた固定概念が、問いただされた。日本の消費者は熱心なやる気や限りない愛嬌を期待するのが当たり前になっていたし、そのためには働く女性が笑顔を振りまくのが当然だと思われていたが、それさえも「情動労働」、つまり感情的、心理的な労働として扱われるようになった。

06年に自殺率の低減をめざして制定された自殺対策基本法には、個人的な問題ではなく社会問題として自殺の問題に取り組む方針が明記された。

15年からは職場でのストレスチェックが導入された。ストレスの原因や症状が網羅されたアンケートを実施し、記入済みの回答を医師や看護師が評価。必要な人には医師が面接指導する。雇い主が勝手に結果を見ることはできない。ストレスチェックは従業員50人以上の全事業所に義務付けられ、50人未満の小規模な職場にも推奨されている。

国民的議論が盛んに交わされ、多くの医療関係者や著名人から支援を得て、進歩的な労働政策も施行された結果、日本でうつ病の認知は確立したのだろうか。

そうかもしれないし、そうでないかもしれない。反動の兆しもみられる。うつ病を理由とする欠勤や病気休暇が急増した結果、同僚への影響に不満を抱いたり、最近では一部の人たちの診断のもらい方や病名の使い方を疑問視したりさえする空気が生まれているようだ。

日本のうつ病患者の中には、こうこぼす人々もいる。うつ病に対する世間の認識が高まって率直に語れるようになったのは助かる。だが反面、自分を甘やかしているだけだとして「うつのふり」や「偽物のうつ」を疑う周囲の目が、回復や職場復帰を妨げている、と。

「心の風邪」キャンペーンの限界が明らかになりつつある。キャンペーンは当時、よくある風邪とうつ病を関連付けるのは誤解を招くと批判された。だが日本とうつ病のかかわりを振り返ると、さらに見えてくることがある。ものによっては心身の疾病と、その文化の全般的なものの見方は、密接に結びついているのだ。例えば仕事について、あるいは他人への責任の度合いについて。社会の認識を高めることは、結果として複雑かつ繊細な課題になる。

この難しさを誰より実感しているのが、とおりすがり氏だろう。今もまだ病気と闘いながら、周囲の誤解とも闘わざるを得ない状態だ。何が起きているか途方にくれた最初の頃に直面したのと、同じような誤解が今も続いているのだ。

だからこそ、とおりすがり氏は私たちが今見ているこの作品を書こうと思い立ったわけだし、だからこそ彼の漫画は紙の書籍とオンラインで大勢に読まれ、共感を呼んでいる。担当の精神科医の言葉を借りれば、これはとおりすがり氏にとって一種の「漫画療法」だ。そしてほかの人にとっては、自分がうつ病で苦しんでいるかどうかにかかわらず、状態を理解するための助けになっている。

(英語記事 How Japan came to believe in depression

提供元:http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-36972140

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