『いわきより愛を込めて』

2016年8月15日

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5年目の3・11

 旧聞に属する話で恐縮だが、今年の3月11日、私はいわき市南台応急仮設住宅に行ってきた。その日のレポートを以下に記したいと思うのだが、身内に不幸があって、記事の執筆が大幅に遅くなってしまった。取材にご協力いただいた方々に、この場を借りてお詫びを申し上げたい。

 2016年3月11日、私は上野駅9時ちょうど発の特急「ひたち5号」に乗り込んだ。2011年3月11日に発生した東日本大震災から5回目となる3月11日に、いわき市南台応急仮設で行われる慰霊祭を取材するためである。

 なぜ、南台なのかと言えば、本稿の第1回目に登場してくださった、福田工業の福田一治さん(双葉町出身)から、「慰霊祭に来て、仮設のおばばの話とか聞かなきゃよ」と言われたからである。

 その通りだと思いつつも、私はなんとなく気が重かった。なぜ気が重いのか、その理由は自分でもよくわからない。

 11時4分、「勿来の関」で知られる勿来駅に到着し、普通列車に乗り換えるため「ひたち5号」を降りた。調べてみると、なんと勿来の関は実在が疑われているそうである。やはりいわき市にあったとされる菊田関の別名とする説もあるそうだが、はっきりわからないらしい。

 吹く風をなこその関とおもへども道をせにする山桜かな (千載集)

 これは平安時代に陸奥国守として活躍した源義家(頼朝の曽祖父)の歌である。現代語に訳せば、「なこその関というぐらいだから、風よ吹かないでほしいと思うけれど、道を狭くするぐらいに山桜の花が散っているなぁ」といったところだろうか。

 「なこそ」はそもそも「な来そ」であり、「来るな」あるいは「来ないでくれ」という禁止の表現である。それに掛けて、「風よ吹かないでほしい」と詠んでいるわけだ。

 では、そもそもいったい誰が何に対して「な来そ」と言ったのかといえば、これにも諸説あってどれが正解とは言えないようだが、北方の蝦夷の南下に対する「来ないでくれ」であったという説が有力なようだ。

 実際、勿来海水浴場の南では山が海まで迫って断崖となっており、南北の交通路は断崖を避けた内陸の道しかない。関所を設けて北方民族の南下を防ぐには好適な場所だったに違いない。

 現在の茨城県(常陸国)と福島県(陸奥国)の県境もちょうど勿来付近を通っており、つまり、ここは昔から関東と東北の境界であり、おそらくは異文化の接点であると同時に衝突地点であったに違いない。

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