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2016年8月15日

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根本敬 (ねもと けい)

上智大学総合グローバル学部教授

1957年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。同大学院比較文化研究科博士後期課程中退。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授等を経て、現在、上智大学総合グローバル学部教授。専攻はビルマ近現代史。著書に『抵抗と協力のはざま――近代ビルマ史のなかのイギリスと日本』(同、2010年)、『ビルマ独立への道――バモオ博士とアウンサン将軍』(彩流社、2012年)、『物語 ビルマの歴史――王朝時代から現代まで』(中公新書、2014年)、『アウンサンスーチーのビルマ――民主化と国民和解への道』(岩波書店、2015年)など。

 ところで、戦後71年がたったいま、私が教えている大学の学生たちは、おおむね「東南アジアの人々は親日的だ」「東南アジアには親日の国が多い」と考えている。「高校生のときシンガポールに住んでいましたが、現地の人々はみんな日本人に親切でした」「ミャンマーに観光で行きましたが、あんなに親日的な国は初めてでした」「ベトナム人の留学生と仲良くなり、彼女の日本好みに驚きました」などなど。

 こうした発言には、おそらく多くの日本人ビジネスマンも同意するのではないだろうか。しかし、待ってほしい。「親日である」と私たちに映る東南アジアの人々の心の奥底には、過去の日本に対するネガティヴな思いが隠されていることもまた事実なのである。戦時中の日本軍の東南アジアにおける軍事的・経済的野心や、占領の実態を知れば、それは私たちにも想像が可能なことである。ここではミャンマーの例をとりあげ、「過去の日本に対するネガティヴな思い」について考えてみたい。

ミャンマーが“親日的”とされる背景

 ミャンマーは東南アジア諸国のなかで最も親日的な国として語られることが多い。そうした理解の根源には、いくつかの歴史的な「理由」がある。

 一つめの「理由」は、戦争直前から戦時中にかけて生まれた日本軍(の一部)とビルマ人ナショナリストとの交流である。

 この交わりは41年2月に結成された南機関という謀略組織が、アウンサンら30人のミャンマー人ナショナリストを密出国させ、海南島の三亜で極秘の軍事訓練を施し、開戦後に彼らを中核とするビルマ独立義勇軍(BIA)を結成したことから始まる。

 BIAは日本軍とは別ルートでタイから英領ビルマに進軍し、イギリス軍や植民地軍と戦った。20年代から反英独立運動が盛んだったミャンマーだが、この日本との接触を通じて、ナショナリストたちははじめて武力を獲得することができた。彼らは英国を追い出して軍政を開始した日本軍に「協力」姿勢をとり、信頼関係をつくりあげ、それを活用することによって自国の独立を目指し、ビルマ・ナショナリズムに基づく文化的・社会的政策の実現を図ろうと試みた(ビルマ語の公用語化など)。日本側もある程度それに応じた。こうした交流の事実があるため、戦後の日本では「日本とビルマの特別な関係」という歴史解釈が一部で登場するようになった。

 二つめの理由は、戦局が悪化して英軍の反攻が強まったなか、敗走する日本兵に対しミャンマー人がやさしく接し、時に英軍から守ってくれたという事例が、戦後ビルマから復員した元兵士らによって戦記を通じて数多く語られた事実に基づいている。こうした戦争末期のミャンマー人の「やさしい振る舞い」から、日本人とミャンマー人は文化的にも宗教的にも心が通じやすいという「理解」が生じやすくなった。

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