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2016年8月15日

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根本敬 (ねもと けい)

上智大学総合グローバル学部教授

1957年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。同大学院比較文化研究科博士後期課程中退。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所教授等を経て、現在、上智大学総合グローバル学部教授。専攻はビルマ近現代史。著書に『抵抗と協力のはざま――近代ビルマ史のなかのイギリスと日本』(同、2010年)、『ビルマ独立への道――バモオ博士とアウンサン将軍』(彩流社、2012年)、『物語 ビルマの歴史――王朝時代から現代まで』(中公新書、2014年)、『アウンサンスーチーのビルマ――民主化と国民和解への道』(岩波書店、2015年)など。

 蜂起後3カ月がたった45年6月末、アウンサンらの勢力は英軍に認知され、名称を愛国ビルマ軍(PBF)に変更のうえ、英軍の下に入って公式の共闘関係を築いた。ミャンマー側の史料を客観的に検証する限り、彼らはゲリラ戦を通じて日本の敗戦までに最小で1000人、最大で4700人前後の日本軍将兵を倒している。

 この蜂起は戦後のミャンマーの歴史教育のなかでアウンサンの功績とつなげて強調され、関連図書も数多く出版された(ピークは60年代)、また抗日(愛国)文学の格好のテーマにもされてきた。日本ではあまり知られていなくても、ミャンマーでは国民が世代を超えて学んでいる史実が、この抗日闘争なのである。

泰緬鉄道建設工事の悲劇――「汗の兵隊」

 日本占領期のミャンマーにあって、もうひとつ負の記憶として語り続けられているのが、戦時中に強行されたタイとミャンマーを結ぶ鉄道建設工事である。一般に泰緬鉄道と呼ばれるこの路線は、タイのノーンプラドゥクからミャンマー南部のタンビューザヤッをつなぐ全長415kmの軍事鉄道で、海にかわる陸上の補給ルートとして大本営によって計画された。真珠湾奇襲から約7カ月後の42年6月下旬に工事が始まり、険しい山間のジャングルに路盤をつくってレールを敷設していく難工事が機械をほとんど用いず人力でおこなわれ、わずか1年4カ月後の43年10月25日に開通している。

 日本軍の鉄道連隊は世紀の鉄道工事としてこれを誇りにしたが、現実には連合軍捕虜と東南アジアで徴用された労務者を合わせて10万人以上の犠牲者を出した悲惨な工事だった。戦後、日本軍の捕虜虐待の最も悲惨な事例として日本と英国、オーストラリア、オランダとの戦後和解を困難にさせた。一方で、東南アジアで徴用された労務者の犠牲については十分な認知がいまだなされていない。

 東南アジアの労務者に関する動員記録は日本軍の敗戦時に廃棄されたため、ほとんど残されていないが、推計でミャンマー人10万6000人、タイ人3万人、マレー人およびジャワ人(現在でいえばマレーシア人とインドネシア人)8万5000人とみなされている。ミャンマー人の多さが目立つ。

 工事現場は、道具、衣服、食事、衛生環境のすべてにおいて劣悪で、かつ日本軍将兵や日本の植民地だった朝鮮半島から動員された監視員(コリアン・ガード)による威圧的で暴力的な行為がたびたび生じ、抵抗した者に対しては日本軍憲兵隊による拷問もおこなわれた。そのため、連合軍捕虜だけで1万2000人もの犠牲者を出した。東南アジアから徴用された労務者に至っては、推定で最小に見積もっても4万2000人、最大に見積もると12万5000人が命を失っている。

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