個人美術館ものがたり

2010年2月16日

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赤瀬川原平 (あかせがわ・げんぺい)

画家、作家

1937年、神奈川県生まれ。60年代にネオ・ダダイズムなど前衛芸術運動に参加。80年「尾辻克彦」名の『父が消えた』で芥川賞を受賞。『散歩の学校』『昭和の玉手箱』『千利休 無言の前衛』など著書多数。

画家の没後、生誕地の町へ遺族から2枚の油彩画がもたらされます。
町の人たちはこれを大切にまもり続け、遺族の協力のもと美術館へと発展させました。
現在は加賀絹発祥の地小松らしく、絹織物業者の倉庫だった蔵が利用されています。

宮本三郎(1905~1974年)

 単純な言い方だが、宮本三郎は絵のうまい人だ。でもそう言ってしまってからが難しい。絵がうまいというのは、その先で「うまいだけ」ということにもなりかねない。絵の技倆というのは「うまい」が頂点だけど、その頂点は刃先みたいなもので、油断するとそこから滑り落ちる。落ちたら結局「うまいだけ」になっていたりする。

 落ちるのをくい止めるのが絵の「面白さ」というものだ。面白味、趣向といってもいいが、技倆のうまさとはまた違う路線だ。優れた画家はみんなそこのところで苦闘する。技倆というのは減らないものだが、絵の面白さは減ったり消えたりするから困る。

 宮本三郎の生涯の画業を見ていると、ところどころでその苦闘を感じる。絵がうまいということでわかりやすいのは、戦時中に描いた「山下、パーシバル両司令官会見図」だ。「本間、ウエンライト両司令官会見図」もそうだが、徹底的にうまい。戦争画というのは報道写真にも似て、まずは描写力が求められる。だから画家たちは戦時の国家に描写力で奉仕した。思想的に見ての事のよしあしは別にあるとしても、絵を描くという仕事の上では、画家たちにストレスはない。ややこしい芸術問題を離れて、画家たちは絵を描きはじめたころの初心に帰ったかのように、明快に描写的絵筆をふるっている。

 こう書くと戦争画を礼賛しているように見えるかもしれないが、そんなこととは別に、戦争画にある単純明快さ、そこにある画家たちの気持の解放感のようなものが、いつも気になっているのである。

 

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