佐藤忠男の映画人国記

2010年2月8日

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 鹿児島県出身の映画人では古いとこからあげるとまず寿々喜多呂九平(すずきたろくへい、1899〜1960年)である。大正末期の脚本家で、歌舞伎調の英雄豪傑の話ばかりだった時代劇に反逆児やニヒリストを登場させて変革をもたらした。そこからでてきたのがバンツマこと阪東妻三郎だった。

 次いで監督の山本薩夫(1910〜83年)。鹿児島市生まれ。父親は転勤の多い役人で、薩摩で生まれた子だから薩夫である。中学からは愛媛松山に移る。戦後「真空地帯」(1952年)などの名作で左翼映画の一方の指導者になった。

 村野鐵太郎監督(1929年〜)も鹿児島市出身。森敦の小説でひと冬月山にこもって瞑想にふける青年を描いた「月山」(1979年)が代表作である。これは似た作品がどこにもない精神的な輝きのにじみ出るまことにユニークな芸術作品である。

 山下耕作(1930〜98年)は阿久根町(現阿久根市)出身。仁侠映画全盛期の東映京都撮影所で最も腕のいい、丁寧な画づくりをする監督として多くのヒット作を放った。中村(萬屋)錦之助主演では「関の彌太っぺ」(1963年)、鶴田浩二主演では「博打打ち 総長賭博」(1968年)、高倉健主演では「昭和残侠伝 人斬り唐獅子」(1969年)と言えば、血わき肉踊る思いのする往年のファンも多いだろう。

 中原俊監督は鹿児島市出身。卒業式にチエーホフ劇を上演する素敵な女子高校を面白く描いた「櫻の園」(1990年)が代表作。いいセンスを持っている。次いで「落語娘」(2008年)がじつに老練な作品だった。そろそろ大監督になってもいい。

 プロデューサーでは「太陽を盗んだ男」(1979年)や「クローズZERO」(2007年)の山本又一郎がいる。

 俳優では、フランキー堺(1929〜96年)が鹿児島市出身。ただし小学校5年生で東京に移っている。学生時代からジャズのドラムに凝り、進駐軍のキャンプ回りなどで腕を磨いて人気ドラマーになった。愛嬌のある演奏が得意でコメディアンとして映画に招かれ、「幕末太陽傳」(1957年)でブレイクした。なかなかのインテリでもあった。

 榎木孝明は伊佐郡出身。このところ芸術家の生涯を演じた映画が多い。有名な陶工の一生を演じた「HAZAN」(2003年)や画家田中一村の一生を演じた「アダン」(2006年)がそうで、いずれも力演である。とくに後者は鬼気迫るものがある。

 哀川翔は鹿屋市出身。東京の原宿の路上パフォーマンス集団「一世風靡」から芸能界に入った。ビデオのバイオレンスものなどで大活躍してスターになった。

 若手では薩摩川内市出身で「クローズZERO」や「鴨川ホルモー」(2009年)などで注目されている山田孝之と、鹿児島市出身で「7月24日通りのクリスマス」「椿山課長の七日間」(ともに2006年)などに出ている沢村一樹に期待しよう。

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